

フィリッパ・グレゴリー著「ブーリン家の姉妹 上・下」を読む。このシリーズは8巻まで続く。数年前、宮崎でナタリー・ポートマンの主演で映画を観た。本も読みたいと思っていたが、かなり時間がたってからになってしまいました。
16世紀イングランド。新興貴族ブーリン家の姉妹、アンとメアリーは、たちまち国王ヘンリー8世の目を惹く存在となる。立身出世を目論む親族の野望にも煽られて、王の寵愛を勝ち取る女同士の激しい争いが幕を上げた!王の愛人となったのはメアリー。その座を奪ったうえ、男児の世継ぎをつくることのできなかった王妃までもを追い詰めるアン。英国王室史上、最大のスキャンダルを描いたベストセラー登場。
ヘンリー8世は6人の女性と結婚しているが、アン.ブーリンは2人目の妻にしてかのエリザベス1世の母親である。

ゴルフで近くまで来たので探しました。茨城行方市にある「愛宕神社」です。鳥居と社殿の間の谷地に、「天龍の御手洗」といわれる清水があります。『常陸国風土記』行方郡に見える、「椎井」に比定されています。
継体天皇の時代、箭括氏の麻多智という人が郡役所の西側の谷を開墾したとき、体は蛇で頭にツノのある「夜刀の神」が群れをなしてやってきて、田をつくることを妨害した。そのため、麻多智は怒り、甲冑で身を固め、矛を手にとって、打ち殺して追い払った。そして、山の入り口に境界となる標の杖を立てて神の土地と人の土地を分け、自身は夜刀の神の祭祀者となって、はじめて社をつくって祀った。
また、孝徳天皇の時代、壬生連麿が谷にあった池に堤を築いていたとき、やはり夜刀の神が群がりきて、椎の木にのぼって居座った。そこで、麿は大声で怒鳴り、「この池を修復させるのも、根本は人民の生活をよくするためなのだ。大君の教化に従おうとしないのは、いったいどこの神なのか」といい、使役の農民たちに、「目に見えるものは魚でも虫でも、恐れたりせずにことごとく打ち殺せ!」と命じた。すると、夜刀の神は恐れ、逃げ去っていった。
この池が、椎井の池と名づけられた、といいます。
小さな麻多智の像が、池のほとりにありました。

境内に、「夜刀神」の碑があります。

社殿は、今にも崩れ落ちそうでした。

本日は、芸術な一日となりました。かみさんと銀座にでかけ、まずは「フェルメール・センター銀座」へ。
足掛け4年にわたり全世界のフェルメールを訪ね歩いた生物学者で「フェルメール 光の王国」の著者である福岡伸一氏が監修。世界各地のフェルメール作品を制作当時の姿を推測してデジタルマスタリングしているのだそうです。デルフトのフェルメールセンターと同じく、フェルメールの全作品37点の複製画を原寸大で展示されています。話のネタに寄ってみました。

そして、有楽町 東京フォーラムで開催中の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」へ。とにかく銀座から有楽町にかけて人だらけ、さすがGWです。14:00からのコンサートには少し時間があります。

野外での演奏を聴きながらコーヒータイム。
GW期間中、数多くのコンサートが開かれているのですが、
私が選択したのは「モディリアーニ弦楽四重奏団:PIANOアダム・ラムール」の
❶ボロディン:ノットゥルノ(弦楽四重奏曲第2番 ニ長調 より緩徐楽章)
❷ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲 ト短調 op.57
です。
バランスが良く若さあふれる演奏でした。
ということで、本日は終わり だったのですが、facebookをみると、高校・大学の友人M氏が奈良から遊びに来ていて銀ブラしていると書き込んでいたので、さっそく電話。夫婦共に4人同じ合唱団だったので久しぶりにお茶しながら時間を過ごしました。う-ん なんとなく有意義な一日でした。
今日は、ゴルフの予定でしたが、あいにくの大雨で中止に。途中まで車で向かっていたので神社参拝に変更。
式内社「阿彌神社」は、論社が二社ある。どちらも参拝してきた。まずは、阿見町竹来にある「阿彌神社」。

ご祭神は、健御雷之男命。もとは、普都大神=經津主命と言われている。

鬱蒼とした林の中に境内がある。右手に一つだけ立派な境内社があった。
神紋は「三つ巴」のようです。

本殿は三間社流造です。
もう一社は、阿見町阿見にある「阿彌神社」。こちらのご祭神は、豊城入彦命・経津主命。
由緒によると、崇神天皇十八年、豊城入彦命、東国 に荏み曽て此地に到り昔建御雷経津主二大武神平国の功を憶い、其の上 天地なるを偲びて慨然としていわく「皇 祖の天下を経営せらるるや、阿彌普都 実に能く天業を輔弼せり両神功成り て天に還りしは、蓋し是の地なるか」とこ れより阿彌郷と名づけ、この地に命を 祭る。とあります。

現在は、住宅街の一角に鎮座している。

参道の途中に立派な鳥居がありました。その奥に拝殿。

本殿は、一間社流造でした。


会津若松の西はずれにある「伊佐須美神社」を参拝。ご祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊。そして天皇の勅命を受けた四道将軍のうち、北陸道を進んだ大毘古命と、東海道を進んだ建沼河別命を祀る。そもそも、「会津」の名の由来は、大毘古命と建沼河別命が出会った場所ということで「相津」と名付けられ現在の「会津」となってる。

拝殿は現在は仮。実は、2008年10月3日に火事が起き、拝殿授与所が焼失。更に同月の29日にも出火し、本殿・神楽殿・神饌所などが全焼しているのだ。2013年再建予定のようです。
よつて拝殿後方は広い空間が。その後方に桜の木が。桜といえば、当社のご神木は「薄墨桜」

残念ながら、葉桜へなりかけておりました。あやめ苑も有名みたいです。
最後に訪れたのは、「八槻都都古別神社」。

こちらも、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)が主祭神。日本武尊を配祀しています。社伝によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大将と戦い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三神が出現。味耜高彦根命の鉾を授けた。日本武尊は、その鉾を、今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を立て、味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたという。

朱の随神門が印象的です。こちらの額には「奥州一宮」の文字が。

随神門の天井に龍が描かれており、神紋もありました。「丸に2つ引」のようです。

拝殿も朱色で美しい。

本殿は、流造でしょう。唐破風の向拝付です。立派。

GW前半のメインは、福島へのドライブ。夜中1時出発で「三春」へ。武石から成田。北上し稲敷から常磐道へ。明け方4時40分に三春船方ICに到着。コンビニでオニギリを買って車中で朝食。5時、コンビニ前を滝桜へ向かう車がガンガン通り過ぎる。さすがに皆早い。こちらも負けずに出発。なんと850台収容の駐車場はほぼ満車。恐るべし「滝桜」。

圧倒的な存在感。ちょうど朝日が差し込んできました。

周囲を回りながら撮影。しかし凄い人の数。脚立の俄カメラマン達が滝桜を囲む。なるべく人が写らないように撮影するのも一苦労だ。

満開の「滝桜」。日本三大桜だけあります。早起きはやはりお得。「滝桜」を後にする6時には既に大渋滞がはじまっていました。「滝桜」へ向かう方はとにかく少しでも早くお出かけを。

滝桜近くにの湖。この日は霧が降りていてなにか幻想的なのでパチリと撮影しておきました。

次のお目当ては満開の「鶴ケ城」。とにかくすばらしいの一言。人生一番のお花見でした。

三の丸口へ向かう外堀にもたくさんの桜。この時点で感動。

そして天守閣と桜。似合います。とくに赤瓦の天守が美しい。
「絵になる」とはまさにこのこと。思わず何枚も撮ってしまいました。
ちなみに、「鶴ケ城」は、元は葦名氏が築いた黒川城。それを蒲生氏郷[がもううじさと]が戦国期・1593年(文禄2)に築城し、「鶴ケ城」と名づけました。加藤嘉明の代に改築、現在の姿に。戊辰戦争後に明治政府の手により解体され、現在の天守閣は1965年(昭和40)に再建されたものです。鶴ケ城は寒さに強いとされる赤瓦を使用しており、2010年度に往時の姿を再現すべく葺き替え工事を行っております。

江戸川乱歩賞受賞作家 鳥羽亮著「真田幸村の遺言 上下」を読む。
「大助、向後の徳川との合戦はお前が引き継げ」智将・真田幸村の遺命を受け、豊臣秀頼とともに炎上する大坂城を脱出した男がいた。死んだとされていた真田大助である。その後、一族は紀州に潜み、雌伏して七〇年。脈々と継がれていた豊臣の血筋をついに紀州徳川家に入れることに成功した!その名は頼方。後の吉宗である。幸村の思いを胸に秘め、真田の暗闘が始まる。
大坂夏の陣で滅んだ豊臣秀頼と真田幸村の子孫が、徳川吉宗とその一派となって、徳川幕府を乗っ取るという奇想天外な物語である。
徳川家には本家である将軍家のほかに、尾張、紀州、水戸と三つの分家、御三家がある。将軍家に世継ぎがいない場合、将軍を継ぐ権利を有する家柄。吉宗は分家の紀州徳川家の生まれで、しかも4男。吉宗は幼い頃から体格がよく、そして早熟。11歳で女中に手をだしてしまうほどのやんちゃぶり。そんな吉宗が21歳の時、藩主の父、兄3人が4ヶ月のうちに次々に死を遂げる。こうして厄介者の4男坊が紀州の藩主になる。
また徳川六代将軍家宣が重い病に倒れた。家宣の子はわずか四歳の鍋松一人。家宣の死後、鍋松が若くして家継と名を改め7代将軍となったが、しばらくして家継が倒れてしまう。次々に将軍候補が謎の死を遂げていく。なぜ吉宗は頂点に君臨することができたのか?
これを元に、一大フィクションを作り上げた。あっぱれ!!

お花見を兼ねて「三嶋大社」を参拝しまいた。境内には、15種200本の桜があるそうです。

鳥居をくぐると参道の両脇に池があり、桜が咲き乱れています。

神門の奥にも「三島桜」など・・・

感激。
さて三嶋大社の祭神は、大山祇命と事代主命であるが、大山祇命は、大三島に鎮座し伊予国一の宮である大山祇神社の祭神。三島の社名の類似から、大三島から勧請されたという説が古くからあるらしい。事代主命は、平田篤胤の説による。神紋は、「角切りに三の字」。大山祇神社も美保神社も「三の字」であることから、どちらの神様か意見が分かれるのだろうか。元は、三嶋は、「御島」から変化したもので、富士火山帯である、伊豆七島に代表される伊豆諸島の神で噴火や造島を神格化したものだと思われる。

拝殿は、見事な千鳥破風をもつ入母屋造り。

本殿は、重厚感あふれる三間社流造・銅板葺。

さすが、伊豆国一ノ宮でした。これにて42の一ノ宮参拝達成です。

三島・沼津の名所を周りました。まずは柿田川湧水群。環境庁「名 水百選」「二一世紀に残したい日本の自然百選」に認定されています。豊富な水量に加え、年間一五度前後の一定した水温、そのまま飲める水質。その清流域で 営まれる生態系が一つとなって豊かな自然を創りだしています。

水の全てが湧き水で、そこかしこから透明に澄んだ水が、川底の砂を舞あげてボコボコ、ポコポコ・・・。

次に向かったのは「香貫山」。標高193mの山。五重の戦没者慰霊塔と桜が美しかったです。

最後は「クレマチスの丘」。こちらでは、ヴァンジ彫刻庭園美術館・ベルナール・ビュフェ美術館を拝観。クレマチスは少し季節が早すぎでした。

帰りは、小田原から横浜を抜けて初めてアクアラインを通り、海ほたるに寄って帰宅しました。結構なドライブとなりあました。

常陸国二宮にして、延喜式神名帳の名神大社「静神社」へ参拝。この神社に参拝するために、今日は水戸の友人と静ヒルズカントリーでGOLF。ゴルフの調子は記事にもできないイカンともしがたい状態です。
さて、静神社は、主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)、相殿神は手力雄命(たじからのみこと)・高皇産霊命(たかみむすびのみこと)・思兼命(おもいかねのみこと)である。建葉槌命は武神であるが又の名を名倭文神(しどりのかみ)といい日本で初めて織物を織りだされた神といわれています。

深い森の中の参道は静謐さを感じます。社名の「静」は、倭文(しづり、しどり)からの転訛とされている。

階段を上がるとまず唐門があり、その奥に拝殿<銅板葺入母屋造(平入、唐破風付)>・中門・本殿と続く。

神紋は「桜」のようです。女神か?

本殿は神明造り。やはり千木(水平)・鰹木(6つ=偶数)がはなぜが「女神」形式でした。
常陸の国風土記に「綺日女(かむはたひめ)の命」という機織りに女神が登場します。元はこの綺日女(かむはたひめ)の命が祭神だったのかもしれませんネ。
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