2009年7月 5日 (日)

八坂神社

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京都では、加茂別雷神社と八坂神社へ参拝。まずは、八坂神社を紹介。大学時代4年間でたぶん一度だけ、それも通り過ぎただけかもしれない祇園社「八坂神社」は、言わずと知れた「素盞嗚命」をお祀りする神社で、その総本山ともいえる。また、櫛稲田姫はじめ、八人の御子が揃って祀られている。八人の御子とは、八島茶見命(八島野尊)・五十猛尊・大屋津比賣命・抓津比売命・大歳神・宇迦御魂神・大屋毘古命・須勢理比売命である。明治以前は、「祇園感神院」あるいは「祇園社」と称していたが、明治の神仏分離により、八坂神社となった。素盞嗚尊は、牛頭天王(ごずてんのう)と同一視され、牛頭天王は武塔天神とも称する、厄神である。薬師如来を本地仏としている。

上の写真は「西楼門」です。下の写真が「本殿」です。

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賀茂別雷神社

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山城国一ノ宮 賀茂別雷(かもわけいかずち)神社。通称:上賀茂神社。ご祭神は、賀茂別雷命。賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社である。

社伝:「日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して大和の葛木山に宿り、さらに山代国岡田の賀茂に移り、その後、久我国の北山基に鎮座。丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依売が生まれた。ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、丹塗矢が川上から流れ下って来た。これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子を産んだ。成人し、建角身命が、「汝の父に酒を飲ましめよ」と言ったところ、天に向かって杯を手向け、昇天した。それが、祭神:賀茂別雷命である。」

果たして、賀茂別雷命とは?下鴨神社のご祭神が、賀茂建角身命。また名を八咫烏。社伝によると、賀茂別雷命の祖父となる。しかし上・下の関係をみると少し怪しい。

さて下の写真は、細殿と盛塩の起源といわれる「立砂」で、ご神体の神山(こうやま)<神社北2キロの山>をかたちどったものらしいです。

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2009年7月 4日 (土)

三輪山へ

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大学時代の合唱団の記念コンサートのため京都へ。夕方のコンサートなので、朝から出かけ、大阪空港からレンタカーを借りて、兼ねてから行きたいと思っていた「三輪山」へ向かった。大和の神奈備として、古代最も尊崇された「大神神社」に行かねば。。。。

味酒(うまさけ) 三輪の山 青丹(あおに)よし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 情(こころ)なく 雲の隠さふべしや {額田王}

写真は、パンフレットなどによく載っている、御神体「三輪山」と大鳥居が見える場所を探して撮ったものです。いい場所が見つかりました。

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大神神社

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古代日本史は、三輪山・大神神社を抜きにしては語ることはできない。伏せられた或いは改竄された歴史を紐解くとき、いつもこの三輪山の存在から語られる。梅原猛氏は、三輪山こそ「ヤマタノオロチ」だとし、また出雲天孫族以前の大神「ニギハヤヒ」を祭る山だとも語られる。真実は未だにわからない。ご祭神は、大物主大神(おおものぬしおおかみ)またの名を倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)である。

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浄めの手水舎は、もちろん「蛇」であった。巳(ミイ)さんから清めの水をいただくのだ。

004 拝殿も重厚感ただよう檜の皮葺き。奥に、三つ鳥居があり神霊「三輪山」を拝する。

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オリジナルの御朱印帳を購入。やはり、朱印は「大神神社」から。もう一冊、全国一ノ宮御朱印帳も一緒に。一枚目は、大和の国一ノ宮「大神神社」が似合う。

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大神神社摂社 

まずは、「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社。

005 御祭神は、狭井坐大神荒魂大神。社殿左手奥に、ご神水の井戸があり病気の平癒に霊験あらかたという。そして、三輪山への入山は、この拝殿右手から登る。残念ながら時間がないので断念。また必ず登りに来てみたい。

そして、若宮社 大直禰子神社。

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古事記には、<崇神天皇の時代に疫病が大流行し、三輪山の大神が天皇の夢枕に現れ、「意富多多泥古」という者を探し出し、自分を祀らせよ、さすれば祟りもあさまるであろう>と告げた。その大田田根子を御祭神としている。その手前に巨大な「おだまき杉」の株が。三輪の七本杉らしい。

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この他、日向御子神(たぶん神武天皇)を祀っている「神坐日向神社」。唯一この桜井で天照大御神を祀っている「檜原神社」にも行きたかったが、時間がなく断念。残念!

しかしやはり大神神社には、素盞嗚の変名とされる神や一族を祀った、摂社が多く見られた。神宝社(熊野夫須美神・御子速玉神)、市杵島姫神社、貴船神社(おかみ神)などなど。

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鏡作坐天照御魂神社

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三輪山のそば(西側)に、鏡作と名の付く神社が、5つある。八尾の鏡作坐天照御魂神社、石見の鏡作神社、宮古の鏡作神社、保津の鏡作伊多神社、小坂の鏡作麻気神社だ。その中で鏡作坐天照御魂神社を参拝。祭神は、中央に天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと){旧事本紀では天照国照彦火明櫛玉饒速日命}、左右に、鏡作部の祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天糠戸命(あまのぬかとのみこと)の3神です。石凝姥命は、天照大神がスサノオの乱暴に怒って天岩戸に隠れた時、彼女を岩戸から誘い出す方便として八咫鏡(やたのかがみ)を作った神で、天糠戸命は、その父である。

「崇神天皇6年、この地において日御像の鏡を鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。当社はその(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」

社宝として三神二獣鏡が伝えられるが、これは三角縁神獣鏡の外区が欠落したものらしい。

鏡作神社は、三輪山山頂から冬至の日に朝日が昇るといわれている。また、出雲にある岩見という地名も興味深い。物部氏の流れを感じる。

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大和神社

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大和神社(おおやまと)。ご祭神は、中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。社伝によれば、崇神天皇の代、国内に疫病が蔓延したため、宮中に祀られていた天照(あまてらす)大神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)神の神威を畏れて、二神を宮中の外に祀ることにした。崇神天皇6年、天照大神は、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって笠縫邑で祭祀されることになり、一方、倭大国魂神は淳名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に託して祀ることになったが、淳名城入姫命は髪が落ち体がやせて、この神を祀ることができなかった。そこで、翌年市磯長尾市(いちしながおち)に命じて鎮め祀らせたという。

第二次大戦中、世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦「大和」は、守護神として艦上で大和神社の分霊を祀っていたらしい。そのため戦艦大和と運命を共にした、伊藤整第二艦隊司令長官以下2717柱の英霊、巡洋艦矢矧を中心とする第二水上特攻隊の3721柱の英霊が合祀され国家鎮護の神として祀られています。

もとは、現在の長岳寺の場所にあったらしいのですが、これは、大神神社ー石上神社を結ぶ線上に位置します。

何か因縁がありそうです。(地図を拡大してご確認ください)

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箸墓

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途中、箸墓古墳に寄る。卑弥呼の墓という説がある有名な古墳だ。三輪山の麓、「纒向遺跡」の南端の桜井市大字箸中に所在する前方後円墳。全長282m、後円部径157m、高さ22m、前方部幅125m、高さ13m。崇神天皇の叔母、倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)陵 大市墓(箸大墓)とされている。

「日本書紀」崇神天皇10年9月の条
 時に大神恥じて、忽ちに人の形となりたまふ。其の妻(みめ)に謂(かた)りて曰(のたま)はく、「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)でむ」とのたまふ。よりて大虚(おほぞら)を践(ほ)みて、御諸山(みもろのやま)に登ります。ここに倭迹迹日百襲姫命仰ぎ見て、悔いて急居。則ち箸に陰を撞きて薨(かむさ)りましぬ。すなわち大市(おおち)に葬(はぶ)りまつる。故、時人、其の墓を號(なづ)けて、箸墓(はしのはか)と謂ふ。この墓は、日は人作り、夜は神作る。

とあります。写真は礼拝所で、この古墳は陵墓に比定されているため、宮内庁管理になっていて、一般の人は立ち入り出来ないようです。

Hisihaka2008

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石上神社

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物部氏の総本山。物部氏の遠祖宇摩志麻治命(うましまじのみこと)をもって宮中に奉斎したと記し、崇神天皇七年物部伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が大臣のとき、詔により天社、国社を定め八百万神を祀らせ布留御魂神とともに石上高庭の地に祀ったのを創始とする「石上神社」を尋ねる。ご祭神は、布都御魂大神。さらに配祀として 布留御魂大神 布都斯魂大神。さらに宇麻志麻治命 五十瓊敷命 白河天皇 市川臣命。ご神体は、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)である。この剣は、ヤマタノオロチを素盞嗚が斬った剣である。宇麻志麻治命は、素盞嗚の子「ニギハヤヒ」の長男。そして摂社に出雲建雄神社 がある。やはり出雲・素盞嗚系である。そうすると、布都・布留・布都斯は誰なのか予想は付くというものだ。

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三輪山より、山野辺の道の最北「石上神社」は、古社にふさわしい落ち着きのある静謐な社であった。

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2009年6月28日 (日)

夢殿の闇

Photo 引き続き 小椋一葉著「夢殿の闇~聖徳太子と消された覇王」を読む。

夢殿の秘仏・救世観音と地中に埋蔵された物部守屋討伐の遺品の秘密、太子の影が濃い善光寺内陣地下の闇に息づく守屋柱の謎……。何重にも封印された怨霊鎮めの構造を解く、衝撃の古代史論。

かなり強引か。覇王スサノオとニギハヤヒ抹殺の最初張本人は、聖徳太子だと説く。そして、蘇我氏、天武、不比等と引き継がれてゆくという展開。その鍵が、善光寺・法隆寺・東大寺にある。祟る神の鎮魂の為に・・・・。やはり物語っぽいかな。しかし本書とは、関係ないが、何故真に「神の国(神道)」であった大和朝廷で、仏教を遍く広める必要性があったのかという疑問はいつも沸いてくる。確かに何かを隠すための策謀と考えるのが自然だ。やはり日本古代史はおもしろい。

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2009年6月27日 (土)

消された覇王

Photo 小椋一葉著「消された覇王」を読む。

出雲より出で、九州に邪馬台国を築き、内海外洋を掌握して大和に進出し倭国を起こしたスサノオの一族。日本の最初の偉大なる覇王は、スサノオであった。そしてその息子ニギハヤヒこそが、天照大神であり、大和の皇祖であった。そのことを、豊富な神社伝承と祭神の分布、系統の分析等によって解明してゆく。多少に無理もあるが。二世紀に実在した巨大な王権が藤原氏の手で“神話”にすりかえられた経緯と策謀とは。

確かに、日本中の多くの神社は、出雲系神社であり、大和盆地には日向系神社はほとんど後付け以外は存在しない。以前にも書いたが、日向天孫族のお膝元「宮崎」の日向一の宮<都農神社>のご祭神が大巳貴命というのも不思議であった。

非常に面白い考察で是非お勧めです。

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2009年6月21日 (日)

大地の北斗七星

より大きな地図で 大北斗 を表示

またおもしろいものを見つけた。大地の五芒星に続く第二弾。日本に横たわる「大地の北斗七星」と呼ぼう。

①高千穂の峰 天の逆鉾の下に眠る(逆鉾石)②沖ノ島 宗像大社沖津宮にある 沖ノ島:不信石(おいわず)③出雲大社の忌石(いみいし) ④奈良県飛鳥: 亀石(かめいし)⑤青木ヶ原(富士山麓): 荒覇吐神(あらはばき神)の石偶⑥鹿島神宮: 要石(かなめいし)⑦宮城県多賀城: 壷石(つぼいし)

これら霊石を結ぶと、「北斗七星」ができるらしい。おもしろい。そういえば、宮崎にも「霧島 北斗七星」なるものがあるという。同じく霊石、霊場を結ぶ。


より大きな地図で 霧島北斗七星 を表示

ただし、不完全だ。①皇子原:産場石(うべし) ②霞神社:白蛇の岩窟 ③東霧島神社:割裂神石 ④未発見 ⑤母智丘神社:陰陽石 ⑥高ノ峯 ⑦住吉神社 の7箇所だ。 こじつけぽいが、とりあえずご紹介。

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2009年6月14日 (日)

平和の塔

いつでも行けると思い中々行かず2年たったが、とうとう今日の昼飯前に宮崎は平和公園:平和の塔を観にいった。

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別名「八紘一宇の塔」。昭和14年(1939)5月20日に起工し、翌15年11月25日に完成し、竣工式が行われたらしい。

四隅には神霊が武人・工人・農人・漁人として仮に姿をあらわした四魂の胸像がある。(荒御魂・奇御魂・幸御魂・和御魂。)
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作者は、日名子実三氏。日本サッカー協会(JFA)のシンボルマーク「八咫烏(やたがらす)」の製作者、でも知られている。

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2009年6月13日 (土)

風よ万里を翔けよ

Photo 田中芳樹「風よ万里を翔けよ 」を読む。

あわく血の色を透かした白い頬、わずかに褐色をおびた大きな瞳―ひとりの美少女が暴君・煬帝の親征に従事していた。病父に代わって甲冑に身を包んだ、少年兵として。その名を花木蘭。北に高句麗を征し、南に賊軍を討つ。不敗の名将・張須陀の片腕として万里の戦野にかけるも、大隋帝国の命運は徐々に翳りはじめ…。

本書にとりあげられた、「木蘭」は、京劇にもなっているほど中国では有名らしい。「ムーラン=ピンイン」と読む。ディズニーが「ムーラン」という映画も作っている。

木蘭の活躍をもっと描くのかと思いきや、煬帝の暴君ぶり、隋から唐むかう戦いなど{隋唐演義}の凝縮版のような進み具合であった。もう少し、木蘭をめぐる場面が欲しかったというのが本音。

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コンペ

Umk18 今日は、UMKカントリー倶楽部にて、支店のコンペ。今回は、12月に転勤したD氏もゲスト参加(あだ名はMDU=マジDうざい)。半年クラブを握っていないという。宮崎ゴルフライフが如何に恵まれているかがわかる。その上、今日は梅雨時だからだろうか異常に空いていた。たぶん総勢20組くらいだろう。8時のトップスタートで当然前にパーティーはいない。ストレスなしのプレー。(昼からも同じ)。スコアは、44:45=89 得意の18番(写真)でのバーディーが効いて今年2度目の80台。ドライバーは不満足だが、今日はパット(29パット)に助けられた。ベスグロもGET。天気は少し曇り気味で暑くなくこの季節としては最高の天候でした。

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