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2007年1月

2007年1月28日 (日)

ドゥーブルフロマージュ

仕事で札幌へ月に一度は出かける。我が家で評判なお土産は、LeTAOの「ドゥーブルフロマージュ」というチーズケーキだ。とてもまろやかな食感で、濃厚なのに口の中で素早くとろけてしまう。説明書きによると、ベイクドのクリームチーズとイタリア産マスカルポーネのレアチーズが二層にPhoto_1 なっているらしい。そりゃあそうだ。「ドゥーブルフロマージュ」とはフランス語で2つのチーズという意味だよ。新千歳空港でも売っている。「ルタオ」は小樽にある洋菓子店。察しのいい人にはわかるだろう。「オタル」のさかさま言葉だ。そういえば、サッカーチーム「札幌コンサドーレ」も{ドサンコ}のさかさま言葉が名前の由来だったけ。彦麻呂風だと「これはまさに贅沢なチーズの二重奏や」となる。お試しあれ!!

2007年1月27日 (土)

オールドオーチャードゴルフクラブ

Hole_3_7_1

Topimg_1

久しぶりに水戸時代のM原君とI氏とゴルフをやった。舞台は、茨城町のオールドオーチャードゴルフ倶楽部。いつのまにかパブリックになっていたが、変わらず美しいゴルフ場であった。何度か以前にも廻ったことがあるのだが、相変わらずグリーンは速く難しい。クラブハウスも超豪華。バブル時代の名残が。でもこれくらいの高級感はGoodです。距離はあまりありませんが、フェアウェイのアンジュレーションは効いています。今日も、ドライバーは絶好調。260yショットが何度かあった。ERCⅢの効果は絶大だ。しかしアイアンは全く駄目。いつもの左へ引っ掛ける悪い癖が最後まで治せなかった。スコアは44・46の90で、80台に一歩届かず。無念!!さてI氏は、メタメタの115。最後まで精彩を欠いた。生涯スクラッチを誓ったのだが、もっと練習をして欲しいものだ。M原君は、相変わらず上手い。バーディー3つの82。完敗でした。 天気も良く、気温も春並で最高の一日であった。

2007年1月21日 (日)

春を待つ~モーツァルトを語る 第8弾

Mozart14 第八弾は、春を待つこの時期にふさわしい「ヴァイオリンソナタ 第28番 変ホ短調 K304」だ。何故この曲を選んだか。それは数あるヴァイオリンソナタの中で唯一短調で書かれた曲だからである。K301からK306のヴァイオリンソナタは通称「マンハイムソナタ」と呼ばれている。しかしこの曲はパリで完成している。第1楽章の冒頭のピアノとヴァイオリンのユニゾンはとにかく悲しい。まるでシチリアーノのようなメロディーだ。深い寂寥感。しかしこれを突き破るような長調のテーマ。そしてまた悲しみのメロディーに。音楽性の詳しくは{池晋}が書いている(モーツァルトの音符たち)ので省略だ。私が好きなのは、何といっても第2楽章の冒頭である。ピアノで始まり、ヴァイオリンで繰り返すこの第1テーマは、「はかなく切ない」とはこの音であるとしか言いようがない。やっぱりモーツァルトはすごい。それでは、k.304.2.(クリック)をお聴きください。 コメントもお寄せください。

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2007年1月17日 (水)

海嘯

Photo_4 田中芳樹作「海嘯」という本を読んだ。南宋王朝が元に滅ぼされる時、最後まで忠義を尽くした文天祥を主人公とした作品だ。怒涛の鉄騎元軍の前に兵は倒れ、幼帝は入水、十万余名が殉じる。史上最大の亡国の悲劇のなか、運命に抗い、己を貫いた男たちを描いている。海嘯<カイショウ>とは、潮津波のことで、満潮時に河川を壁のようになって遡っていくことらしい。中国の銭塘江にて見ることが出来る。物語は、張世傑・陸秀夫も登場。この三名は「亡宋の三傑」と呼ばれている。最後の幼帝「衛生」入水のシーンは一読の価値アリ。

2007年1月15日 (月)

国歌

タイトルは、「国歌」だが別に国粋的なことを書くつもりはない。まずフランス国歌「ラ・マユセイエーズ」について。その歌詞の日本語訳を見ると驚かされる。

祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!

我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた

血塗られた軍旗がかかげられた

どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?

子どもや妻たちの首をかっ切るために、

やつらは我々の元へやってきているのだ!

武器をとれ、市民たちよ 自らの軍を組織せよ

前進しよう、前進しよう!

我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!

日本の「君が代」は天皇賛歌だと批判されるが、フランス国歌に比べれば、可愛らしいもんだと思う。

さて本題に入ろう。非常に美しいメロディーの国歌がある。サッカーワールドカップで何度も聴いた。そう ドイツ国歌である。ドイツ国歌は、ハイドン作曲 弦楽四重奏曲OP76-3 第77番ハ長調「皇帝」なのだ。もとはこれは、オーストリア国歌だった。なにせハイドンはオーストリア人なんだから。快活かつさわやか そして甘美。そんな曲である。それでは、原曲 emperor_poco_adagio_cantabile  (クリック)をお聴きください。

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2007年1月14日 (日)

陽虎

春秋戦国時代きっての奸雄・大悪党と呼ばれているのが「陽虎」である。論語では{陽貨}で登場するが、孔子はこの陽虎が苦手であったというより似たもの同志であり宿敵であり受け入れがたかったようだ。白川静氏は、孔子の幻影であったと述べている。魯において武力と政治力で陽虎がやろうとして失敗したことを、孔子も策略でもって行なおうとして同じように失敗するのである。陽虎は容貌がかなり孔子に似ていたとも言われている。その為、放浪時に間違えられて、孔子は殺されそうになっている。{史記によればだが}

「論語」陽貨篇の冒頭に二人の対面シーンが描かれているのだが、それはそれはおもしろ。何故かと言うと、陽虎の問いに孔子はぐうの音もでない有様で、すかしているからだ。

陽貨欲見孔子、孔子不見、歸孔子豚、孔子時其亡也、而往拝之、遇諸塗、謂孔子曰、來、予與爾言、曰、懷其寳而迷其邦、可謂仁乎、曰、不可、好從事而亟失時、可謂知乎、曰、不可、日月逝矣、歳不我與、孔子曰、諾、吾將仕矣

陽虎が孔子に面会しようとしたが、孔子は避けて絶対に会わなかった。そこで陽虎は(「礼」を罠に使う)孔子に蒸し焼きにした豚を贈った。(地位あるものの贈り物には、必ず参上して挨拶を返すのが礼である)孔子は陽虎の留守を見計らって、返礼に出かけたが、途中で出くわしてしまった。いわるゆ待ち伏せってやつだ。

陽虎が言う。
「来なさい。私はあなたと話がしたいのだ。孔先生はせっかく宝をもちながらも役立てず、国を乱れたままにして仁といえますか?」

孔子「否、もちろん言えない。」

陽虎はさらに言う。

政治に興味がありながら度々その機会を逃して智といえますかな?」

孔子「否、もちろん言えない。」

陽虎は続けて言う。

「月日は去り行く、歳月は待ってはくれないものだ。私に仕えてはみぬか?」

子は言った。
「分かりました、ご奉公しましょう。」

しかし、孔子は陽虎に仕えていない。白川氏は、一歩間違えば孔子は理想態からはずれ陽虎になってしまう。それをとにかく恐れていたと述べている。しかし「論語」にちゃんとこの篇があるのが不思議だ。いずれにしても、宿命のライバルは、こんな時代からあったのだと思うとおもしろい。陽虎は魯の失脚後も晋の趙鞅の覚えめでたく庇護を受けている。陽虎もまたすぐれた巫師であったのだろう。悪党だが中々恰好いい。

2007年1月13日 (土)

陋巷(ロウコウ)に在り

Roukou 春秋戦国時代、孔子最愛の弟子・顔回を主人公にした大河歴史小説にして、一大サイキック伝奇巨編、酒見賢一「陋巷に在り:全13巻」読み終えた。流石に12月頃から読みはじめひと月近くかかってしまった。聖人と教えられてきた「孔子」の人間臭さや、顔回が何故第一の弟子なのかを裏付ける独特の世界観がすばらしかった。「儒教」の儒とは、もとは雨乞いをする巫祝という白川静先生の解を元に、原儒(シャーマン)の出である顔回の圧倒的な深さ・強さをまざまざと見せつけ物語に引き込んでくれる。おみごと!!というほかない。夾谷の会に始まり、陽虎(陽貨)のクーデター、三都毀壊・女楽事件などを交えながら、出魯までを描くが、原儒と孔子儒と分け、「怪力乱神を語らず」の孔子の姿とそれを唯一知る顔回との信頼関係が垣間見えて思わずほくそ笑んでしまう。この小説を読めば、何故、孔子が顔回の死に際して「慟し」たかわかるであろう。

2007年1月 8日 (月)

2007年初打ち

W03_2 2007年 打ち始めは「姉ヶ崎カントリー倶楽部」であった。おとといの予約をしていたのが、どう見ても雨なので今日に変更してのプレー。その結果、見事な晴天。それほど寒くもなく、キャディーも優秀。駄目なのはスコアのみ。ガクッ!! 53-44の97。かろうじて100を切れた感じだ。この日のドライバーは文句のつけようがなく、距離もかなりのもの。ERCⅢ(SR)を完全に自分のものに出来ていた。しかし、アイアン・アプローチ・パットはガタガタ。やはり冬芝はゴマカシはききませんね。コースは、自宅から30分と近く、最高でした。西・東と36ホールあるのですが、今回は西コースでプレイ。距離はたっぷりで、特にミドルは、タフ(6474ヤード)。しかしフェアウェーは比較的広いので思い切って飛ばしていけます。スコアは、不満足だったが、比較的楽しい初打ちであった。

2007年1月 7日 (日)

白虎隊

年末年始になると、お馴染みのように「白虎隊」がとりあげられる。そこに、非戦闘員であった16~17歳の少年までも盾として担ぎ出した当時の大人達の非は語られない。勿論、当時すでに会津領民に見限られていたこともである。家永三郎《日本の歴史4》に次の記述がある。「若松城が落城すると、200余年の長いあいだ役人の圧制に苦しんでいた会津の人民が、いっせいに『世直し』一揆に蜂起した。10月3日、大沼郡ではじまった一揆は、11月下旬の南会津郡の一気におよぶまで、2か月近く、全領内で、しかも、まだ、政府軍の砲火のおよばないところでもおこった。かれらは、『徳政』あるいは、『肝煎(庄屋)征伐』と書いたむしろ旗をかかげ、『村役人の農民による選挙、土地を平均に所有する、高利貸から借りた金は、徳政としてかえさない、3か年の無年貢』などを要求した。農民は、役場・肝煎・高利貸などをおそって打ちこわし、土地台帳や借金証文を焼き、村役人を新しく選挙した。」と。すなわち会津農民や領民はあかの他人といわんばかりに会津藩をすでに無視していたのだ。そればかりでなく会津武士(かの白虎隊からも)の死骸から衣服や金目のものを剥ぎ取って売った。戦後、農民達は藩士の死体収容すら拒否したのだ。もっとも会津藩士たちも農民たちの田畑を踏み荒らし、 官軍の休息場所を無くすといって村々に火を掛けて焼き払った 住む家も耕すべき田畑も失った農民たちの怒りはいかばかりであったのであろう 。領民を蔑ろにし、女(娘子軍)子供(白虎隊・幼少組)にまで闘わせるぐらいなら降伏しとけばよかったのだ、と私は思う。 松平容保は、明治に入ると、鳥取藩での蟄居を解かれると、東京は目黒の豪邸でのうのうと過ごしている。上級武士も藩の財産をネコババして、会津や東京で悠々自適の余生を送った。それを「会津士魂」と賛美できるであろうか。否である。そして、その後、白虎隊は、ヒトラーやムッソリーニに賞賛され、(ヒトラーユーゲントは、わざわざ白虎隊の墓まで来ている。ナチは石碑を贈り、ムッソリーニは、豪勢な記念碑まで贈っている。)日本の軍国主義者たちに利用され、学徒出陣少年兵の象徴となったことも、 神風特攻隊も国の為に戦って死んだ青年達もこの白虎隊が模範であったことも忘れてはならない。いつもいつもただ時代に立ち向かった少年達の悲哀しか語られない。残念なことだ。

2007年1月 4日 (木)

2007年 正月 - モーツァルトを語る 第7弾

23083561 12/31NHK モーツァルト・イヤー2006ハイライト 当然みてしまいました。そのあと録画で、何度もある1曲だけを繰り返し繰り返し聴いています。クレーメル・バシュメット う~んジジイになったなあ、いやいや最高でした。ということで第七弾は、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K.364」である。やはりこの曲は紹介せねばならないだろう。アインシュタインは「ヴィオラはより明るく、より輝かしく響いて、オーケストラのヴィオラ群からくっきり浮き出なくてはならない。この二重コンチェルトは、モーツァルトがヴァイオリン・コンチェルトで追求したものの頂点でもある。」と書いている。悲哀の満ちた第2楽章を聴くと、ヴァイオリンとヴィオラのすすり泣きに思わず涙してしまうのは私だけではないだろう。単に古典派音楽と呼んでいいはずがない。単純にそう思う。23歳の青年が何を思い描けばこのメロディーが出てくるのであろうか。母の死か、アロイジアとの別れか などとよく書かれているが、果たしてそれだけだろうか。凡庸なる者には理解できないか。まあとにかくsymphonia_concertante_in_es_dur_andante_k_364 (クリック)をお聴きください。 若き日のクレーメル、指揮アーノンクール(ウィンフィル)でお届けします。よかったらコメントもお願いします。

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神田明神

今日は、会社関係で「神田明神」へ初詣に出かけた。あまりの人の多さにびっくり。やはり今日は大手町・丸の内界隈のサラリーマンの神田明神への参拝が多いらしい。お参りするのに30分程並んでしまった。神田明神は、銭形平次や平将門で有名であるが、 Photo神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場など108町会の総氏神様で、大黒様・恵比寿様が御祭神である。なににつけ2007年も無事に過ごせますように。

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