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2007年4月 6日 (金)

留魂録 その7

此の回の口書甚だ草々なり。七月九日一通り申立てる後、九月五日、十月五日、両度の呼出しも差たる鞠問もなくして、十月十六日に至り、口書読聞せありて、直ちに書判せよとの事なり。余が苦心せし墨使応接、航海雄略等の論、一も書載せず。唯だ数個所開港の事を程克く申し延べて、国力充実の後、御打払ひ然るべくなど、吾が心にも非ざる迂腐の論を書付けて口書とす。吾れ言ひて益なきを知る。故に敢へて云わず。不満の甚しきなり。甲寅(コウイン)の歳、航海一条の口書に比する時は雲泥の違と云ふべし。

評定所にて作成されたこのだびの供述書は誠に簡単なものである。七月九日に一通り申し立てた後、九月五日、十月五日両日の呼び出しの時も大した訊問はなく、十月十六日に至って、供述書の読み聞かせがあり、直ちに署名せよとのことであった。私が苦心したアメリカ使節との応接、航海雄略論などについては、一言も書かれておらず、ただ数箇所に開港のことを程好く申し述べて、国力が充実した後、外国を打払うのが良いなどと。私の心にもない愚にもないことを書き付けて、これを口述書としている。言っても詮無きこととわかったので、もうあえて抗議はしないことにした。甚だ不満である。安政元年(1854年)に、私がペリーの軍艦に乗り込み海外密航を企てて捕らえられた時の供述書に比べると雲泥の差でがあると云うべきであろう。

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松陰先生は、安政元年に渡航(下田踏海)に失敗し自首して調べられた時、供述書に自分の意見が事細かに書かれていたことを想い、今回のこの供述書には落胆するほかはなかった。自分が一番苦心をして述べたアメリカ使節との外交交渉や海外渡航の雄大な計画に関する考えは一つも書かれず、国力充実の後、打払うべきなど愚かで役に立たないことが口書とされた。先生の「航海雄略」のような主張は、当時の知識人において必ずしもめずらしいものではなかった。しかし松陰先生は、その「雄略」の主体を、天皇に求められたというところに特筆すべき点があった。松陰先生は、「皇国の皇国たる所以」を天皇の存在、さらには「天壌無窮の神勅」という固有性に求めることにより、日本が日本として独立することを根拠づけたのである。また「敵体」・「敵国」という儒学的概念を読み替えることで、天皇を対内・対外双方の主権が収斂する「元首」と位置づけ、国内外における政治主体の問題を解消し、日本を名実ともに「帝国」=独立国たらしむることを目指したのだ。

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