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2007年4月25日 (水)

高杉晋作顕彰碑

1  高杉晋作顕彰碑 碑文

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視するものなし、これ我が東行高杉君に非ずや。君は諱を春風、字を暢夫、通称を晋作、後姓名を代えて谷潜蔵と曰う。東行はその号なり。系は武田小左衛門春時に出づ。春時は天文中備後、高杉城主たり。因って氏たり。子孫は世に毛利氏に仕う。考の諱は春樹、妣は大西氏。天保十年八月二十日を以って長門萩に生る。幼にしててきとう大志あり。眼光は炯炯として才識人に絶す。初め藩学明倫館に入り、年十九にして吉田松陰に師事、松陰は深くこれを偉として久坂実甫とならび称す。次いで東遊して昌平學に入り、また佐久間象山を信濃に、横井小楠を越前に訪い、学識ますます進む。文久元年、藩公朝幕の間を周旋す。時に君は世子の近侍たり。周旋のことをおもうに藩国に利あらずと。すなわち将になす有らんとす。
 
二年、公、君を上海に遊び海外の事情を探らしめんとす。居ること数ヶ月にして還る。則ち世子は勅を奉じて江戸にあり、周旋すこぶる力(つと)む。君当路にその不可なるを以って説くも聴かれず。君憂憤し、一日切に世子を諌め、直に藩邸を脱す。すでにして勅使三条中納言、姉小路少将江戸に至り、幕府に攘夷の勅 を奉ぜしむ。幕議依違して決せず。君同志と謀り、まさに外人を襲殺して以って事端を啓(ひら)かんとす。世子諭してこれを止むるも君等遂に御殿山外館を火く。世子君を京師に召す。故あり髪をきって東行と号す。
 
三年春、車駕賀茂社に詣す。将軍家茂列候を率いてこ従す。既にして将軍まさににわかに東帰せんとす。君謂う「将軍一たび挙趾すればすなわち大事去らん」と。すなわち同志と鷹司関白に謁し、その不可なるを陳ぶ。朝議これを納れる。未だいくばくもなく国に還りへい居して出でず。六月、藩公勅を奉じ外艦を馬関において撃つや、君を起こして防御の事を任す。君、士民の勇壮なる者を募り奇兵隊を編む。八月、朝議俄に変じ、三条中納言等の官をうばい、藩公父子の入京を停す。士民憤慨す。遊撃軍総督来島又兵衛、将に兵を率いて闕下にいたらんとす。君、公命をふくみてこれを諭せども聴かず。君深くこれをなげき、即日亡命し入京す、藩その罪を論じて獄に下す。
 
元治元年八月英仏米蘭の四国、艦隊をつらね馬関を侵す。公また君を起て政務に参ぜしむ。我軍利あらず。すなわち君を以って講和の使となし、止戦講和の約をむすぶ。余等もまた参ず。これより先、士民冤を京師に訴えて皆省みず。 ついに禁門の変有り。幕府問罪の師を興し我が国境にせまる。藩士の俗論を唱うるもの争いて起こり、公を萩に擁し、政柄を掌握して、専ら恭順を主とす。正党は皆罪を蒙る。君慨然として国論を回復するの志あり。機を見て遁れ山口に潜入するも捕吏追躡す。すなわち航海して筑前に走る。奇兵の諸隊、しばしば上書して事を論じて納れられず。俗党ついに三老臣四参謀を斬って幕府に謝罪す。君は事の急なるを聞き、また長府に帰り、まさに諸隊を率い俗党を討たんとす。隊士等以って時機尚早となし未だことごとく応ぜず。君余等と謀り、わずか二隊の兵を以って発し、急に馬関伊崎の官廨を囲み姦吏を逐う。其の翌、諸隊また陣を伊佐に進む。俗党驚駭し、また正士七人を殺す。君大いに怒り、兵を進め伊崎官廨を襲てこれに拠り、討姦の檄を国内に伝う。実に慶応元年正月二日なり。ここにおいて俗党、兵を発し諸隊を撃つ。諸隊絵堂大田にむかえ戦う。皆捷つ。君往きて之に会い、赤村の敵を夜襲し、これを破る。転じて山口に入り、三道に兵を分ちて萩に向かう。藩士の俗党にくみせざるもの、上書して当路をしりぞけ、以って国難を靖んぜんことを請う。公これを納れ、諸隊に告諭す 。諸隊命を聴き、藩論始めて一に帰す。君は諸隊を部署して、以って東兵に備え、しこうしてまさに余を伴い欧州に遊び、その形勢を察せんとするも、事を以って果さず。五月、土佐の坂本龍馬、馬関に来り。桂小五郎に見え、薩長連合の事を説く。君、余等とその議に賛し、かつ曰く、「今、東軍まさに大挙来攻せんとす。よろしく、峩艦利器を外国に購い、以ってこれに備うべし。しかれども其の事、薩藩の名を借るにあらざればすなわち能わざるなり」と。余、井上聞多と長崎にいたり、薩の老臣小松帯刀とはかり、銃艦を購入す。桂、また命を奉じて京に入り、西郷吉之助等と協議し、薩長連合すなわち成る。二年春、君、余と長崎に赴き、尋いでまさに欧州へ航せんとす。未だ発せざるに、たまたま幕府の使、小笠原壹岐守、日を刻して公父子を広島に召す。君、これを聞いておもえらく「戦期すでに近し」と。急ぎ軍艦一隻を購いて帰る。丙寅艦これなり。六月、東軍、大島郡を襲う。君、丙寅艦に乗り、夜、敵艦へい列の中に突入し放砲して去る。敵軍震駭す。我が兵また海を渡り、陸上の敵を撃ち、これを走らしむ。君、ついで軍を豊前に進め、門司大里を取る。敵、小倉城を火き、退いて 香春に入り、ついに降を請う。しこうして芸石の東軍もまたすでに我の破るところとなる。四境の外、また敵騎を見ざるなり。ここにおいて幕威地に墜き、王政復古の業まさに緒につかんとす。
 
三年春、君たまたま疾を獲、四月十四日ついに起たず。春秋二十有九。けだし藩の士民、悼惜せざるなし。吉田村清水山に葬る、配は井上氏、一男あり、名は東一、その祀を承く。明治二十四年、朝廷その功を追褒し、正四位を贈る。嗚呼、君没するの翌年、聖上登極し、乾坤一新す。しこうして、君、目に中興の盛業を観るをえず。身に昭代のはいたくにうるおうあたわず。悲しいかな。今、ここに某月、君の故舊相謀り、墓側に石を建て、以って之を朽せず。余に属して文をなさしむ。誼(ぎ)、辞すべからず。すなわちその行実を書す。概略かくの如し。
 
明治四十二年九月 正二位大勳位公爵 伊藤博文

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