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2009年8月

2009年8月30日 (日)

駒宮神社・吾平津神社

日南市にある「駒宮神社」「吾平津神社」に参拝。まずは、「駒宮神社」。

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ご祭神は「カムヤマトイワレヒコ」。高原町の皇子原で過ごした後、ここで幼少時代を過ごしたとされる日向伝説の少宮址。ここには、愛馬「龍石号」とイワレヒコの銅像がある。

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シャンシャン馬発祥の地と伝えられている。ご神紋は、「五三の桐」みたいだ。

そして拝殿の奥には、宮崎へ向かう前に鉾を預けた「御鉾の窟」があった。

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さて、次は「吾平津神社」。通称「乙姫神社」。ご祭神は、イワレヒコの妻「アヒラツヒメ」。勿論、このあたりは乙姫という地名である。運河をはさんで、鳥居がみえる。

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ここは、台風の時に必ずTVに登場する「油津港」のそば。そう油津とは、アヒラツから来ているのだ。神紋は「庵木瓜」のようだ。加江田神社と同じだ。飫肥藩「伊東家」の家紋らしいが、やはり木瓜は、スサノオの匂いがする。???

2009年8月29日 (土)

木花神社&加江田神社

今朝は、早朝ゴルフに出かけた。朝5時30分スタート。青島ゴルフ倶楽部だ。5時15分到着。まだ真っ暗だ。25分くらいから、一望できる太平洋から少しずつ光が。夜明けだ。30分~まだ暗い。35分~パター練習はできそうだ。40分スタート。1打目を皆打つがボールはまだ良く見えない。2ホールからやっと朝が来た。10時に終了。風呂に入り、地元海鮮の店「網元」でちらし丼を食べ満腹。

さて、そのあと帰り道なので近くの「木花神社」「加江田神社」を参拝。まず「木花神社」。

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木花神社のご祭神は、「コノハナサクヤヒメ」。ここにも西都の都萬神社同じようにニニギノミコトとの結婚、三皇子の出産の伝えがある。三皇子が産湯に使ったとされる「霊泉桜川」や産屋である無戸室(うつむろ)の跡とされるものもある。誰も訪れないような古びた神社であった。残念だ。

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その後、「加江田神社」にも参拝。こちらは、天照大御神をご祭神とし加江田伊勢神宮と称していた。宮崎で、天照大御神を主祭神とする神社は、名がある神社では実は少ない。天岩戸神社東宮、大御神社、榎原神社、加江田神社くらいか。

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さほど広くはないが大きな杉に囲まれた趣のある境内であった。さて、ご神紋だが、何故か「庵に木瓜もっこう」というもの。かつて、この地を治めていた伊東家の家紋らしい。しかし瓜といえば素盞嗚。何故?不思議だ。加江田神社と同じ日に近くに熊野神社(熊野という地名もある)でもお祭りがある。熊野といえばやはり素盞嗚。やはり・・・。

さて、コノハナサクヤヒメを祀る「木花神社」と薩摩国一之宮であるニニギノミコトを祀る「新田神社」。夫婦を祭るこの二つの神社は、真東ー真西の一直線で結ばれている。これもまた不思議だ。 <新田神社;北緯 31.493937 - 木花神社;北緯 31.493944>

2009年8月25日 (火)

祇園神社(宮崎)

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日南市 油津の海岸沿いに、洞窟を本殿とする。「祇園神社」なる祠がある。それも、ご祭神は「素戔嗚尊」。日向伝説の宮崎には、極めてめずらしい神社といえよう。<五ヶ瀬町に同じく祇園神社あり>
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もともとは、龍神・水神を祀っていたのであろう。
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2009年8月23日 (日)

役小角 仙道剣

Ennoozunu 黒岩重吾著「役小角 仙道剣」を読む。役小角は、奈良時代の呪術者である。実在の人物だが、伝えられる人物像は後の伝説によるところが大きい。仏法を厚くうやまった優婆塞<うばそく>(僧ではない在家の信者)である。通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ修験道の開祖とされている。葛城山の地を牛耳る「鴨氏(賀茂氏)」の出である。

役小角は、厳しい律令制度に虐げられる人々を救うために、異能を駆使して権力者に立ち向かう。鬼神の如き活躍を慕って多くの弟子たちが葛城山中に集結、遂に一大勢力の中心となった役小角を狙って、時の権力者・持統天皇や藤原不比等、物部麻呂率いる刺客の群れが迫り来るが――。傑出したパワーで古代史に名を轟かせた異才の半生を描く古代ロマンの巨編。

2009年8月22日 (土)

神社仏閣に隠された古代史の謎

Photo 関裕二著「神社仏閣に隠された古代史の謎」。古代史に関わる神社・仏閣の紹介です。勉強になります。

2009年8月16日 (日)

妻垣神社

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古びた鳥居が、何かを隠さないがためにたたずんでいる。当社を『日本書紀』(巻三)の「一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)(『古事記』では「足一騰宮」と表 記)とする伝承がある。日向から大和を目指して東征する神武天皇がこの地に至ったおり,一帯を治める菟狭津彦(ウサツヒコ)と菟狭津媛(ウ サツヒメ)が「一柱騰宮」を造って天皇を饗応したとある。(私は、スサノオとムカツヒメが暮らしていたという説に興味がありその方がロマン溢れると考えるが)
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現在の祭神は,比咩大神(玉依媛命),応神天皇,神功皇后の三柱である。よってご神紋は「三つ巴」紋。
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暑い夏の昼下がり、一人で古代に想いを巡らせるのも楽しい。

宇佐神宮

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やってきました。宇佐神宮です。言わずと知れた全国四万四千社と称する八幡宮の総本社です。式内社にして旧官幣大社。その敷地は広大です。ご祭神は、神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比咩大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)の三柱の神で上宮・下宮に祭られている。元々、比咩大神だけを祀っていた上、この比咩大神にも諸説ある。あまりにも長くなるので今日はやめておこう。
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入口から延々と歩き、たどり着いた八幡鳥居を抜けると本殿へ抜ける西門が見える。さて宇佐神宮の鳥居に注目。通常「額束」といって神社名を書いたものが真ん中にあるのだか、それがない。そして、黒い台輪が島木の下にくっついている。「宇佐鳥居」と呼ばれる独特のものだ。
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本社は小高い小椋山にある。社伝によると亀山らしい。うーん、やはり出雲系の匂いです。そして見事な拝殿。神紋は当然「三つ巴」。
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さすが立派です。

2009年8月14日 (金)

高校同期会

実家の下関。高校時代の同期会に参加。下関西高56期生だ。30年ぶりの再会の前に、卒業アルバムを持参することにした。25・6名集まった。予想通り、過去の面影が跡形もない奴が何名も、アルバムを見ながら、その変わりようを確かめ合う。髪が全くない者。体が3倍にも膨らんでいる者。意外と変わっていないと言われる自分に少し満足。5時間半に渡り、当時の思い出や現在の仕事など語り合った。東京・大阪などからも皆帰郷していた。楽しい時間を過ごした。来月、また大阪で何名かと当時の恩師とも会う事になっている。これもまた楽しみだ。

2009年8月13日 (木)

高良大社

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帰郷、下関への道すがら、久留米にある「高良大社」に立ち寄る。筑後国の一宮で、式内大社である。主祭神は、<高良玉垂たまだれ命>とされるが、日本書紀や古事記は、この神様を抹消している。この神は一体誰なのか興味はつきない。武内宿禰説が今は定説。ご神体山である高良山は、北部九州において、非常に戦略的な位置にある。日田方面から攻められた場合、この山は防御に最前線になる。また、高良山から、筑紫平野は一望できるのだ。

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ご神紋は、「横木瓜」と「三つ巴」。「三つ巴」は、八幡神が一緒に祀られているので納得。しかし「瓜」は素盞嗚のシンボル。たぶん出雲系の神が当初は祀られていたのでは??

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筥崎宮

034a日本の三大八幡宮の一つ。筥崎宮を参拝。筥崎宮といえば、この鳥居。筥崎鳥居と呼ばれる独特の鳥居。鳥居の柱は3つに切れ、下肥りとなり台石に続く。笠木島木はひとつの石材で、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ。かの黒田長政により建立されたものだ。そしてもう一つ。
036a楼門にある「敵国降伏」の篇額。元寇の時に、亀山上皇によって奉納された醍醐天皇の宸筆とされる。

感無量!!


2009年8月 9日 (日)

皇宮神社

宮崎神宮の摂社である「皇宮神社」を参拝。神武天皇が、幼少の頃高原の狭野からこの地に移られ宮居されたとする由緒ある場所だ。石段を登った右手に、「皇軍発祥の碑」がある。昭和10年に昭和天皇の参拝があり、昭和15年に顕彰された。

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そこを過ぎて静寂の森の中、鳥居を抜けると拝殿一つのこじんまりした皇宮神社がある。皇宮屋(こぐや)とも言われる。

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2009年8月 7日 (金)

邪馬台創世記

Photo黒須紀一郎作、小説「邪馬台創世記」を読む。神武東征に先立ち、出雲の大王=素佐之男(スサノオ)の三男大歳(オオトシ)として古代ヤマトを統一した初代の邪馬台国王アマテラス。『記紀』に歪められた古代史の謎を暴く瞠目の書下ろし古代史ロマン。

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