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2010年8月

2010年8月29日 (日)

一夢庵風流記

Photo隆慶一郎著「一夢庵風流記」を読む。book戦国末期、天下の傾奇者(かぶきもの)として知られる男がいた。派手な格好と異様な振る舞いで人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨躯巨漢で、一度合戦になるや、朱色の長槍を振り回し、敵陣に一人斬り込んでいく剛毅ないくさ人であり、当代一流の風流人でもあった。そして何より、自由を愛するさすらい人でもあった。故あって、妻子を置き旅に出た男の奔放苛烈な生き方を描く時代長編。作者が「慶次郎」を真の男としてみており、滅びの美学を見出したところがおもしろい。そして、それは、底根国に去る素戔嗚尊に求めるくだりがまずは、ひきつけられた。書記に云う「辛苦(たしな)みつつ降りき」。素戔嗚尊の後ろ姿が見たのか。爽快感の残る小説でおすすめです。

2010年8月28日 (土)

ベルリン飛行指令

Photo佐々木譲/著「ベルリン飛行指令」を読む。bookドイツが入手した日本の最新鋭戦闘機のデータは、まさに驚愕に価した。対イギリス空中戦で苦戦を強いられるドイツ。そこでヒトラーは、ゼロファイターに目を付けた。ドイツは三国同盟の約定規定から、ゼロのベルリンへの輸送を日本軍に依頼する。ほどなく二人の札つきパイロットに極秘指令が下る。ゼロ戦を駆ってベルリンへ飛べ―日米関係が風雲急を告げる昭和十五年、英国情報網をかいくぐって銀翼が乱気流を切り進む…。先日読んだ、「エトロフ発緊急電」に繋がる人物も登場する前作ものだ。主人公 安藤大尉の『戦闘機乗り』としての心意気がたまらなく男としていい。選択された飛行コースは、横須賀、高雄、ハノイ、ダッカ北方のシラジガンジ、インド西部ラジャ スタン州のカマ二パル、イランバンダルアバス北方の日本の石油会社が管理する基地、 バグダッド北東のイラク陸軍基地、トルコ、イタリア、ベルリンというルートである。 しかし途中にインドを中心として英国軍、その英国から逃れようとするイラン、イラク 。いかにしてベルリンまで2人はたどりつくのか?はたまた・・・・。安藤は言う「「私は蛮行と愚行のど ちらかを選べと言われたら、ためらうことなく愚行をえらびます。」日本軍の絢町に対する痛烈な批判がそこにはある。

2010年8月21日 (土)

安徳天皇漂海記・廃帝綺譚

PhotoPhoto_2宇月原清明著「安徳天皇漂海記」「廃帝綺譚」を読む。前者は、壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇。伝説の幼帝が、鎌倉の若き詩人王・源実朝の前に、神器とともにその姿を現した。空前の繁栄を誇る大元帝国の都で、巡遣使マルコ・ポーロは、ジパングの驚くべき物語をクビライに語り始める。時を超え、海を越えて紡がれる幻想の一大叙事詩。第19回山本周五郎賞受賞作。後者は、時空をこえ、廃されし帝王に残されたものとは―帝国の崩壊、栄華の終焉。衰え、敗れ、滅び、流される時、そこにはただ神の欠片だけがあった。

安徳天皇、源実朝、南宋の幼帝、マルコ・ポーロ、クビライ・カーン、後鳥羽上皇、鴨長明などなど…また古事記、日本書紀、吾妻鏡、平家物語、東方見聞録、金槐和歌集・・・南宋崩壊・蒙古襲来。多くの人物といくつもの文献や事件を見事に1つのファンタジーに仕上げた腕前、構想力はさすがとしか言いようがない。真床追衾(まことおうふすま)、塩乾珠(しおふるたま)と塩盈珠(しおみつたま)。古代史ファンにはたまらないおもしろさ。祟り といえば、崇徳天皇・道真・将門が定番で「安徳天皇」などは想いもしない。そこの着眼がすばらしい。小生、下関生まれで幾度となく、関門海峡をみて育ち、赤間神宮にも参拝しているが、運命と悲哀としてしかとらえたことしかなく、おそれいりました。滅びの美学を堪能あれ。

2010年8月11日 (水)

玉作湯神社

さて旅行の最終日。まずは玉造温泉のそばにある式内社「玉作湯神社」からスタート。
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御祭神は出雲玉作の祖である櫛明玉神。出雲玉作部は、阿波の忌部氏の流れで安房国と同族だと思われる。神紋はめずらしいもので「丸玉菅玉勾玉」という。写真↓
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触って祈れば願いが叶うと言われる願い石があることでも有名らしい。
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佐太神社

今回の旅行でどうしても参拝したかったのがこの出雲國二ノ宮「佐太神社」。
玉造から一度、宍道湖東面を通り抜け松江市の北に向かう。
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神名備の朝日山を背に東面する姿は、勇壮かつ厳粛。ご祭神は、佐太大神。そして御本殿三社に十二柱の神々を御祀りしている。各本殿毎に神紋をもつ。
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正殿は「地紙」紋・・・佐太御子大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解男命・速玉男命
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北殿は「輪違い」紋・・・天照大神・瓊々杵尊
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南殿は「二重亀甲」紋・・・素盞鳴尊・秘説四座
もともとは、佐太大神のみだったと言われている。ご祭神も時代によって替えられているようだ。ご朱印をもらう時に、権禰宜さんに「社紋」もあるのか尋ねると「十五本骨檜扇」紋ということだった。
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しかし、3つ並ぶ大社造りは、見るものを圧倒する。南殿の入口が、珍しく左につけられていたので、尋ねると日本でここ以外にないとのことで、当時の宮大工の「美的感覚」ではないでしょうかという答えであった。なるほど。しかしそれだけの理由だろうか?宿題にしておこう。当社では、出雲大社の後を受け継ぎ「神在祭」が行われる。(11/20夜~11/25夜)さて「佐太大神」は現在では「猿田毘古大神」と定義されているが、最後にそれだけは、ありえないということを書いておきたい。

このあと再度、松江市内のもどり、お盆のお供え物を各実家に送るため「彩雲堂」という和菓子店へ。松江は、金沢に次ぐ和菓子の盛んな町らしい。(松江藩七代藩主 松平出羽守治郷 不昧公が茶道を極めたことから始まっているとのこと)。ここで抹茶と和菓子(代表的な若草という和菓子)を頂く。おいしい!!


賣布神社

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松江市内にある「賣布神社」を参拝。ご祭神は「速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)」で、めったにお目にかかれない神社ではないだろうか。速秋津比賣神は、祝詞『大祓詞』の中・・・・・大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す開都比賣と言ふ神・・・・・にでてくる神様で水門を守る神様です。ここでは、松江新大橋のたもとに鎮座していました。神紋は「二重亀甲に花角」紋のようです。剣がありません。社号の「めふ」とは海藻や草木の豊かに生い茂る所ということらしいです。~ご由緒より
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31このあと島根県立美術館に立ち寄り、砂浜の兎の写真をパチリ。2番目の兎を優しくなでると願いがかなう?というご利益が。

八重垣神社・神魂神社

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南へくだり、まずは最近、縁結びでとりわけ若い女性に人気の「八重垣神社」へむかう。さすがに大勢のカップルや若い女性が多い。宝物殿で、素戔嗚、稲田姫の壁画を拝観。とりあえず鏡の池も寄ってみた。
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こちらにも日本最初の和歌の石碑が見られた。
ご祭神は、もちろん素盞嗚尊 櫛稻田姫命。神紋は「二重亀甲に剣花角」。
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そして、日本最古の大社造りをもつ「神魂かもす神社」へ
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ご祭神は「伊弉冊大神 」神紋は「二重亀甲に有」。有は、神在月の十月を顕す。
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さすがに荘厳なおもむき。参拝者は残念ながら誰もいない。寂れてはいるが堂々とした本殿に思わず声を失う。国宝です。写真のように屋根の上の千木が水平に切られているのが女千木です。伊弉冊大神が祭神ですから。出雲大社の大国主は、参拝者から見て右すなわち西を向いているのは有名ですが、こちら神魂神社の伊弉冊は、逆に左を向いて鎮座しています。本殿は東面していますから、北をむいて鎮座しているということです。なぜ?
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当然ながら、本殿内部の壁画はみれないのだが、感無量!!

出雲大社の本殿の天井絵「八雲」は、実際は、7つしかない。この神魂神社の天井絵は「九雲」。出雲大社から神魂神社へ1つが飛んでいったという話もある。それは眉唾だろう。たぶん易経による九こそ究極の数字だからだろう。もともと「八」というのは、分かれるという字で縁起はよくない。出雲には「八」がつきものだ。それは、天孫側が出雲を忌み嫌われるよう仕組んだものだと考えている。


真名井・六所・揖夜神社

ここから駆け足で、神社を廻る。このあたりを昔意宇の地と呼んでいたが、そこに意宇六社がある。神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社がそれだ。すでに昨日、熊野を参拝。そして午前中に八重垣・神魂を参拝。残すは三つ。まずは、真名井神社へ。
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ご祭神は、伊弉諾尊 天津彦根命。天津彦根命とは、アマテラスとスサノヲの二神が天の真名井で誓約(うけい)をしたとき、アマテラスの髪や右手と左手に巻いた玉の緒をスサノヲが受け取り、かみ砕いてはき出した息の霧から現れた神様である。『出雲風土記』は宍道湖を囲むように4つの神奈備山の存在を記録している。その一つが現在の茶臼山であり、残りが仏経山、大船山、そして朝日山である。真名井神社は、出雲国・国庁跡付近に広がる、のどかな田園風景の中、茶臼山を神名備として鎮座している。神紋は「亀甲に有」。
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こちらも大社造りだが、祭神は正面を向いて鎮座しているとのことです。
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次に向かったのは、六所神社。細い道を探しながら進むが、一度通り過ぎてしまった。ご祭神は伊邪那岐命 天照皇大神 月夜見命 伊邪那美命 素盞鳴尊命 大己貴命と勢ぞろい。出雲国庁跡のすぐそばにある。出雲国総社だ。しかし残念なことにかなり寂れている。神紋はこちらも「亀甲に有」。
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社伝によると、当社は元、佐久佐神社といい、式内社・佐久佐神社であるという。よって、かつての主祭神は青幡佐久佐彦命であったという。
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本殿、右奥に「佐九佐社」の石碑があった。

さて六社最後の参拝先は「揖夜神社」
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こちらも古びているが、かなりの規模の神社だった。本殿は、みごとに囲われていたが脇から拝することができた。
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かなりりっぱな大社造りだ。こちらも女千木である。ご祭神は、伊弉冉命 大己貴命 少彦名命 事代主命の四神。黄泉比良坂とされている入口がこの神社の近くにあるのだが、残念ながら寄ることはできなかった。神紋は「二重亀甲に剣花角」だ。写真の本殿手前に見えるのが、境内社・韓國伊太氐神社でこれも式内社である。スサノオノミコトとイタケルノミコトの2神を祀っている。これにて六社参りは終了。ここから、足立美術館へと足を延ばすことに。

足立美術館

足立美術館は、島根訪問者のかなりの方が訪れるだろう。日本一の日本式庭園をもつ美術館だ。43
借景の庭はそれは感動ものだった。紅葉の季節に是非また訪れたいものだ。
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館内にも東山魁夷、林義雄などかなりのコレクションが楽しめます。

能義神社・美保神社

神社めぐりもあとニ社を残すのみとなりました。まずは、足立美術館から2-3kmの「能義神社」へ。
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御祭神は、天照大神の第二子、天穂日命。出雲国造八十三代の御孫千家宮が親しく参拝され、御祖神の御神威を奉載されています。神紋はこちらも「二重亀甲に剣花角」。出雲の国には、四つの大神が存在したと言われています。 その四大神とは「所造天下大神(大国主神)」 「熊野大神」 「佐太大神」 「野城大神」の四神です。これにて、四大神をお祭りする神社もすべて廻ることができました。 
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最後の参拝先「美保神社」へ。
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台風が近付いており、帰りの飛行機を心配しながらの参拝となりました。風が少し強くなってきており、時折小雨も。
ご祭神は、三穂津姫命・事代主神です。そして神紋は「二重亀甲に三の字」。しかしこれはどうらや社紋の様である。
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ニ棟並んだ本殿をみると三穂津姫命の神紋は「二重亀甲に渦雲」
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事代主神の神紋は「二重亀甲に三つ巴」の様です。
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来るまで知らなかった。それにしても見事な社殿(比翼大社造り)でした。

これにて、島根20社めぐりは終了です。飛行機搭乗まで少し時間があるので、境港の水木しげる記念館によってきました。金沢在住の時に家族でいった時には記念館はまだありませんでした。なんとか台風の影響もなく無事帰宅です。最後に空港でカレーそばを食べたのですが、おいしかった。そしてなんと蕎麦屋とは思えないBGM。すべてモーツァルトの曲。それも有名どころのレクイエム・魔笛序曲だけでなく、フルート協奏曲第4番1楽章、バイオリン協奏曲第5番第3楽章、フルートとハープシコードの協奏曲第1楽章、バイオリンとビオラのための協奏曲第3楽章と多彩な選曲。参りました。

2010年8月10日 (火)

旧大社駅

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3日目に最初は「旧大社駅」から。(写真は、旧大社駅と構内を覗くかみさん。)
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大社線廃止に伴い1990年4月1日に廃止となった。まだ、9時前なので駅構内にははいれなかった。神社様式を取り入れた格調ある純日本風の木造建築だ。さすが出雲!!
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ここから遠くに「出雲大社」の大鳥居がかすかに見えた。

日御碕神社

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「稲佐の浜」↑を通り、曲がりくねった海岸線を暫く進むと忽然と朱の神殿が目に入る。
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「日御碕神社」だ。ここには宮が2つある。神の宮に素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日沈宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしている。
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神の宮には、日本総本宮の文字が。よし。上の宮に「素戔嗚」下の宮に「天照」を祀る佇まいが惚れぼれする。しかし、千木をみると男神と女神が逆になっている。何故か?ご朱印をもらう時に尋ねるも明確な答えはもらえなかった。
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本殿は、徳川三代将軍家光公の命で再建されたもので、出雲には珍しい「権現造り」となっている。ご神紋は「三つ柏」。天照大神は、もとは、近くの経島(ふみしま)の上に祀られていたらしい。
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出雲大社

出雲大社には、境外にもたくさんの社(末社)がある。その内の3つをまずは参拝。
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写真↑は仮宮と呼ばれる「上の宮」。ご祭神は、素戔嗚尊。何故、素戔嗚。いわくがありそうだ。とにかくまず神在祭で全国からお集まりになられた八百万の神々は、この「上の宮」を会場にして様々な会議である「神議り(かむはかり)」を行うのだ。はずせない。次に「下の宮」写真↓
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ご祭神は「天照大神」。そして写真↓「大歳社」ご祭神は大歳神。大歳神は、素戔嗚の子、ニギハヤヒとも言われている。
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さていよいよ出雲大社へ。
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大鳥居
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一の鳥居
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松林の参道と続き、本殿へ。しかし残念。平成の大遷宮のため本殿は修復中で拝せない。わかっていたがやはり残念。特に、出雲大社の隠れご神体とも言える、本殿後方にある素戔嗚尊を祀る素鵞社も拝せなかったのは、口惜しい。また来るぞ!!神々がお入りになる十九社(写真↓)をとおり、素鵞社の仮の遥拝所(写真↓)にて参拝。
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もちろん仮の拝殿も参拝。しかしやはり注連縄はりっぱだ。
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出雲大社のご神紋は「二重亀甲に剣花角」。


万九千神社・斐伊神社

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出雲大社を後にして、(といっても大社のすぐ東にあるのですが)出雲古代歴史博物館にて、宇豆柱・本殿復元模型・荒神谷遺跡銅剣などを拝観。1時間30分も時間を費やしじっくりと見てきました。一番の驚きは、昔使っていた本物の「千木」が飾ってあるのですが、その大きさでした。とにかく、興味のない方でも楽しめます。出雲へ行かれたら是非寄ってみてください。拝観料は600円でした。このあと、奥出雲へと足を進めてゆきますが、その前に・・・
出雲市の東の端、斐伊川ほとりにある小さな神社「万九千まぐせ神社」へ。
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万九千神社には本殿はなく、拝殿後方に「神籬磐境」があり、石柱が立っている。出雲神在月の最後に、全国から集まった神々が、この社からそれぞれ帰っていく「神等去出」(カラサデ)の為の場所で、ゆえに、この地を神立という。ご祭神は、櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命、八百萬神。神紋は「二重亀甲に万の字」だ。
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次に向かうは木次にある「斐伊神社」。ご祭神は、須佐之男尊、稲田比売命、伊都之尾羽張命。神紋は、「二重亀甲に違い鷹の羽」。
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本社の創立は甚だ古く孝昭天皇五年にご分霊を元官幣大社氷川神社に移したとされています。残念ながら今は見る影もなく寂れていました。いけませんでしたが、この近くに「ヤマタノオロチ」の角を埋めて封印している八本杉があるそうです。

亀嵩駅

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そして、松本清張の小説「砂の器」で鍵となる場所、奥出雲の亀嵩駅を目指す。
ここは、蒲田操車場で殺害された元警察官 三木謙一の故郷だ。(内容は小説をお読みください)しかし実際の駅舎は、加藤剛の映画も中居君のテレビも違う駅が使われていることを書いておこう。しかし、ロケにはきているみたいだ。有名な駅の蕎麦屋「扇屋」は休業でした。残念。駅から3分程東へ走ると、砂の器記念碑(松本清張の字)があり、隣にあの湯野神社が。(これも小説を読んでね)その向にあるお店で奥出雲そばと香茸ごはんをいただきました。おいしい!!

須我神社

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旅行10社目となる神社は「須我神社」。ご祭神は、「須佐之男命」。須佐之男命が八岐大蛇退治の後に建てた宮殿が神社になったものと伝え、「日本初之宮(にほんはつのみや)」と通称される。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮った。
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神紋「亀甲に八雲」だ。それほど大きくない境内だが、なにかしらおちつきのある神社だ。
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熊野大社

本日最後の参拝場所「熊野大社」へ。出雲の国一の宮で出雲大社(こちらも一之宮)よりも実は格は上なのだ。
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ご祭神は、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)。素戔嗚尊とされている。神紋は「一重亀甲に大の字」
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奈良時代の天平5年(733)に編纂された『出雲風土記』にすでに「熊野の大社」と記され、平安時代の延長5年(927)に完成した『延喜式神名帳』にも熊野坐神社と記載されている古社だ。境内右側に、神器の火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりきね)を保管する鑚火殿(さんかでん)があった。
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出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使用する燧臼、燧杵を受け取るために熊野大社を訪れる。この神器を授け渡す儀が「亀太夫神事」と呼ばれるもので、出雲大社が納める餅の出来ばえについて苦情を口やかましく言い立てるのだ。格の違いを見せつけるおもしろい神事だ。休憩所に神事の絵が飾られていた。
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やはり社殿もりっぱだ。
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これにて、本日の神社巡りは終了。一路松江市内へと向かいます。

松江 堀川舟めぐり&玉造温泉

松江市内では、松江城のそばにある「小泉八雲記念館」を拝観し、松江城のお堀を船で巡る「ぐるっと松江 堀川めぐり」を楽しんだ。
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16もの橋をくぐりながら約50分のコース。
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もちろん松江城も・・・とはいいながら天守閣が見えるのはほんの1か所。(あたりまえか、堀をすすんでいるのだから)そして、最後の宿である玉造温泉「玉井別館」へ。
Photo_8さっそくお風呂をじっくりと楽しむ。玉造温泉のお湯は、やわらかく肌にいいらしい。(49のおっさんには関係ないが)足湯もあるのだが、残念ながら利用しなかった。翌朝は、名物のしじみの味噌汁。のこったご飯をおにぎりにしてくれるというサービスには感激した。

2010年8月 9日 (月)

宮島

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日本三景の一つにして世界文化遺産 宮島 へ。宮島口からフェリーに乗り10分。目指すはもちろん「厳島神社」。厳島神社の創建は推古元年(593年)、その後、仁安3年(1168年)、平清盛によって寝殿造り様式(平安時代貴族の邸宅建築様式)を取り入れ現存の規模に造営されたものだ。
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ご祭神は宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)。ご神紋は「三つ亀甲に剣花角」(↑写真)。本殿は、繊細かつ華麗な切妻両流造り。平舞台、高舞台、能舞台、反橋と国宝・重文が満載。さて厳島神社は、珍しく北面している。後方(南)には、「弥山(ミサン)」が聳える。これがご神体かな。そして、大鳥居、宮島外宮と言われる「地御前神社」、「極楽寺」「極楽寺山頂」と北へ一直線へ連なる。弥山本堂に祀られる「毘沙門天(北の守り)」からすると妙見信仰の具現化がみられたものであろう。
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神社の朱と海の青と山の緑。美しかぁ。さすがに外国人観光客も一杯。秋の紅葉季節にもう一度訪れてみたい。

せっかくなので、ロープウェイで獅子岩まで登ることに。
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そして瀬戸内海の美しい風景を満喫。
09_Photo散策途中で大きな杓子の写真もパチリ。昼食はもちろん「名物 あなごめし」。
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名残惜しいが宮島を後にして、いざ石見国へ。

石見国一之宮 物部神社

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島根県 まず最初に参拝に訪れてのは「石見国一之宮 物部神社」。もちろんかの物部氏に由来する神社だ。ご祭神は、物部氏の初代の宇麻志摩遅命(ウマシマジノミコト)。相殿の右座に物部氏祖神で主祭神の父神である饒速日命と所有していた剣の霊神である布都霊神、左座に天御中主大神と天照皇大神、客座に別天津神と見られる五神と鎮魂八神を祀る。ご神紋「ひおい鶴」。宮中でも行われる鎮魂祭を行う神社としてはずせない。<ちなみに宮中では11/22、同日に石上神宮でも行われる。物部神社は11/24。>
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当社の手水石は富金石という砂金を含んだ石。五つの勾玉の形に彫られている。広い境内と静かなたたずまいの神社であった。
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須佐神社

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本日のメイン「須佐神社」を参拝。須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀する。須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神の本宮として大神奉祀の神社中殊に深い縁を有している。鳥居脇の社号標には「須佐大宮」と刻まれている。鳥居、隋神門、拝殿、本殿と少しずつ左にずれているのに気がつく。ご朱印をもらう時に禰宜さんに尋ねると、お帰りになる際にお尻をむけるので失礼にならないようにずらしているとのこと。ご神紋は「二重亀甲に蔓柏」。スサノオが出雲の国造りを終え、根の国の熊成の峰から柏の葉を投げたことからきているか。明日参拝する日御碕神社も「三つ柏」紋である。
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さて、この須佐神社には七不思議の伝えがある。

1・塩井(しおのい)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたといわれている。この塩井は出雲大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間渇があるのは潮の干満に関係があるからだとか。内用浴用に使うと元気になるという。
2・神馬(しんめ)
神社に奉献された馬は、どんな毛色の馬でも年を経るに従って白馬に変わるという。吉凶禍福(良いこと悪いこと、災いと幸せ)や国の大事を予知するといわれている。
3・相生の松(あいおいのまつ)
本殿の裏に雄松、雌松が一本になった松があった。今は枯れてなくなった。
4・影無桜(かげなしさくら)
昔、隠岐の国で稲が実らないときがあった。その原因は須佐大宮の境内の大きな桜が隠岐に影をもたらしたからということだった。桜を切ったことにより隠岐に稲が実るようになったが、その切り株から生えた桜は枯れずに今も残っている。
5・落葉の槇(おちばのまき)
須佐之男命の妃神である稲田姫がお産をされたあと、産具を槇(柏)の葉で包み、それを松の葉で綴って川に流した。それが、流れ着いたところに「槇と松」が生えたという。
6・星滑(ほしなめら)
須佐の中山の頂上あたりに、白い斑点がある岩盤がある。それが白く輝いて光が大きい年は豊作、光が小さい年は不作だという。
7・雨壺(あまつぼ)
神社の西を流れる素鵝川をずっと下った田の中に岩がある。その岩の穴をかき回すと須佐大神の怒りで洪水が起きるといわれている。

以上の7つだ。塩井は宮崎の西都にある「鹿野田神社」と同じだ。
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本殿は見事な大社造り。大杉と一緒に失礼ながら後方より撮影されて頂いた。

朝山神社・長浜神社

今日は、出雲駅前に宿泊予定。ホテルへ入る前に、「朝山神社」へ。朝山神社は、式内社・浅山神社に比定されている古社で、出雲国風土記に「浅山社」とある神社。ご祭神は、眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめ)。旧暦10月1日~10日に神在祭が行われ、ここに集まった神々は11日に出雲大社に向かうといわれている。すなわち最初に、神在祭が行われる神社だ。
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ご神紋は、「百合の葉」。さすがに誰一人参拝者はいませんでした。
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このあと、「長浜神社」へ参拝。
長浜神社は、国引きの綱の「薗の長濱」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神としてお祀りしている。
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「朝鮮半島の新羅の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、「国来い」と引き寄せて縫い合わせていかれました。
こうして出来た土地は島根半島の西端の杵築の岬の一帯です。この土地をつなぎとめるために立てた杭は三瓶山です。また引いた綱は長浜がそれです。写真は稲佐の浜から見えた三瓶山です。
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国引きの時の土地鎮めに使われた要石が境内右後方に祀られていました。
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なぜか三輪鳥居が???そうそう神紋は「五七の桐」でした。

今日の参拝はこれにて終了。夕食は、ネットで調べた出雲市内の「とみ田」というお鮨やさんに行きました。地物のお魚とおいしいイカなどを満喫。お酒はなぜか黒霧。やっぱり宮崎にいた者としては、黒霧が最高です。
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2010年8月 8日 (日)

広島入り

暑休休暇を利用して、広島・島根をかみさんと旅行。まずは、21時に広島空港入り。広島市内到着は22時に到着。日曜の夜は広島といえども早い。とにかく「お好み焼き」だけは食べようと。ホテル近くの「駅前ひろば」へGO!駅前ビルの6Fに15軒ほどの店が所狭しと並ぶ。すでに閉店の店もちらほら。座った店は「電光石火」というお店。
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オムレツ風のお好み焼に大葉入り、うん おいしい。カキ焼き・エビマヨ・トンとろなども食べて、生ビール2杯と黒霧島2杯。熱帯夜の暑さをアルコールで吹き飛ばせ。よし満足!!さあ あすからいよいよ神社巡りの旅行の始まり~。

2010年8月 7日 (土)

エトロフ発緊急電

Photo_2佐々木穣著「エトロフ発緊急電」を読む。book1941年12月8日、日本海軍機動部隊は真珠湾を奇襲。この攻撃の情報をルーズベルトは事前に入手していたか!?海軍機動部隊が極秘裡に集結する択捉島に潜入したアメリカ合衆国の日系人スパイ、ケニー・サイトウ。義勇兵として戦ったスペイン戦争で革命に幻滅し、殺し屋となっていた彼が、激烈な諜報戦が繰り広げられる北海の小島に見たものは
実際にあったかもしれない諜報戦をハードボイルドに描き、かつ一人一人の人物像もしっかりと作り読者を惹きつける作品だと思う。調べてみるとNHKでドラマ化されていたようだ。全く知りませんでした。

I氏 遅刻せず

5月の連休以来となった「水戸会ゴルフ」。恒例の「立野クラシックGC」。過去2度続けて遅刻しているI氏。しかし、今回は3度目の正直で時間前に到着。まずはめでたし。これで7時台のプレーで早く帰れる。I氏は今回はプレーもステディ。後半は長いパットも着々と沈めてゆく。直前では109をたたいたらしいが、そんな片鱗はない。いつもスコアを崩す要因の3wもうまく使いこなしている。46:46の92.さぞかし今晩はビールがうまいことだろう。意気揚々と帰っていった。飛ばし屋で最年長のN氏も前回の霞ヶ浦の時と同様に好調なゴルフ。最後の4ホールでさすがにガス欠で大きくスコアをロスするものの、46:51の90台を確保。最近めっきり腕をあげた鉾田町(茨城)から参戦のO君は、1ホール4連続OBがたたり104に沈む。しかし32歳の320ヤードのビッグドライブは見ごたえがある。かく言う私は、苦手パートナーI氏との同伴で崩れるかと思いきや43:46=89でなんとか80台をキープ。しかしこのところドライバーはひどすぎる。全くタイミングが合わない。好調時、どうやって打っていたのだろう???やはり練習が必要だろうか。楽しい仲間とのゴルフはやはり格別ですね。

Tateno14

2010年8月 6日 (金)

黎明に叛くもの

Photo宇月原晴明著「黎明に叛くもの」を読む。book時は戦国。
洛東はるかに、西域は波斯の暗殺教団“山の長老”伝来の暗殺の法を秘かに伝える山があった。
玉のごとき美貌を謳われ、山中深く刺客として養われた一人の稚児が、兄弟子とともに修羅の巷に下りる時、戦国一婆娑羅な悪党の伝説が始まる!天下二分の夢を誓った兄弟子・斎藤道三への想い、昇る日輪のごとく台頭する若き織田信長への嫉妬と憤怒…。舞い踊る傀儡、乱れ咲く毒の花、神秘の霊薬、妖しの法を自在に操り、久秀は迫りくる千軍万馬に、独り立ち向かい続ける。時代に先駆けながら、自らの誇りにのみ従い、時流に叛逆しぬいた男の華麗なる生涯―虚と実の狭間に屹立する、異形の戦国史。信長に「狂人のごとく」と怖れられた松永久秀。西方の妖異を操る奇人を軸に戦国群雄を描く歴史伝奇大作。

完全なるフィクション&ファンタジーの歴史小説であるが、人物相関における組み立ては見事としか言いようがない。
誰もが宇月原ワールドにのめり込んでしまうだろう。歴史的事実との辻褄を見事にすり替えて悪党久秀と魔王信長を対比しながらクライマックスまで持ってゆく力量に絶大なる拍手を贈りたい。

2010年8月 1日 (日)

真田幸村 家康狩り

Photo朝松健著「真田幸村 家康狩り」を読む。

book織田家に人質にとられていた際に、過剰な折檻により命を落とした竹千代に成り代わり、徳川家康となった信濃の少年忍者・醜鳥。時を経て天下人となった醜鳥に、宿命の糸に絡めとられた真田幸村が最後の戦いを挑む!!真田幸隆、真田昌幸、そして真田幸村へと三代にわたり伝えられた、霊刀白鳥丸と表裏比興の秘策。

QED 六歌仙の暗号

Qed高田崇史著「QEDシリーズ 六歌仙の暗号」を読む。book「七福神は呪われている」明邦大学を震撼させた連続怪死事件以来、その研究はタブーとなっていた。しかし、棚旗奈々の後輩・貴子は兄の遺志を継ぎ、論文を完成させようとする。そして新たな事件が!?ご存知、桑原崇が歴史の闇に隠された「七福神」と「六歌仙」の謎を解き明かす。
QEDシリーズは、推理小説だが、事件と推理部分はさしてどうでもいい。古代史をめぐる氏の独自の解明が面白いのだ。今回は、七福神と六歌仙。数字の違うこの二つがいかに結びつくのか?七福神=六歌仙+惟喬親王=7=妙見信仰                          
    
    大黒天 -大伴黒主ー大伴家持
    弁財天 -小野小町
    毘沙門天-惟喬親王
    恵比寿 -文屋康秀
    寿老人 -在原業平
    福禄寿 -僧正遍昭
    布袋  -喜撰法師

惟喬親王を中心に集いし6名の繋がりは?さて証明や如何に。

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