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2011年7月

2011年7月30日 (土)

奇貨居くべし

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宮城谷昌光 「奇貨居くべし」全5巻 完読。

book秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめたその波瀾の生涯を描く。多くの食客を抱え、『呂氏春秋』を編んだということ以外、多くの謎に包まれた呂不韋に、澄明な筆致で生命を与え、みごとな人物像を作り上げた、六年半に及ぶ大作。

呂不韋そのものに、それほど関心がなかったのと、良い印象がなかったので読むのが遅くなっていました。しかし。これは非常に読み応えがあり、また一つの「ビジネス書」ともいえる。商いというものへの考え方をふんだんに交えておりおもしろかった。なんといっても権謀の限りを尽くす悪人という呂不韋に対する、私の先入観を完璧に覆してくれました。

「奇貨居くべし」以外にも、「完璧」「怒髪天を衝く」「刎頸の交わり」などの故事成語も登場。正統派の聖人君子としての呂不韋。是非ご一読を。

2011年7月23日 (土)

西行花伝

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辻 邦生 著 「西行花伝」を読む。book美と行動の歌人、西行の生涯を浮び上がらせた絢爛たる歴史小説。「私自身が現実を超え、美の優位を心底から肉化できなければ、この作品を書いても意味がない」と著者自身が語る、辻文学の集大成。花も鳥も風も月も―森羅万象が、お慕いしてやまぬ女院のお姿。なればこそ北面の勤めも捨て、浮島の俗世を出離した。笑む花を、歌う鳥を、物ぐるおしさもろともに、ひしと心に抱かんがために…。高貴なる世界に吹きかよう乱気流のさなか、権能・武力の現実とせめぎ合う“美”に身を置き通した行動の歌人。流麗雄偉なその生涯を、多彩な音色で唱いあげる交響絵巻。

西行は、武士として一流であるばかりか蹴鞠や流鏑馬の名人としてもその名を知られ、鳥羽院の寵愛を一身に受けた、前途輝かしい若武者だった。しかし、そのその輝かしい20代に、彼は家族も地位も捨てて突如出家してしまう。待賢門院を慕うあまり出家したといわれているが、それだけではない。この世ではすべてが虚空の中にはかなく漂っているにすぎないと見切ってしまったとき、ならばなぜ生きているのかと考えると、そこに残るのは「言葉の力で残る」ことであり、それが歌の使命だと西行は悟ったのである。そのための出家。しかし、俗世から完全に離れることのできない姿がそこにある。鳥羽・崇徳・後白河・清盛・頼朝・・・この時代を彩る人々と関わりながら、世の無常にも、終生諦めることはなく、静かに、しかし、力強く生きた人間・西行が描かれる。

2011年7月18日 (月)

ツクヨミ 秘された神

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戸矢 学著「ツクヨミ 秘された神」を読む。アマテラス、スサノヲと並ぶ三神のひとつ、ツクヨミ。しかし記紀の記述はあまりにも極端に少ない。まるでいなかったの如く。それとも、その存在を隠したかったのか。その古代史上の謎の神の秘密に、三種の神器、天武天皇、桓武天皇、陰陽道といった観点から、はじめて迫る。日本古代史は、こういった仮説がいくつも作り出せるからおもしろい。

2011年7月17日 (日)

大甕倭文神社(おおみかしず)

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今日は、かみさんと常陸の国の神社巡り。まず、向った先は、「大甕倭文神社」。

天津甕星の荒魂を封じ込めた宿魂石の上に、退治を行った倭文神(しどり)=建葉槌神(たけはづち)を祀る奥宮が鎮座している。
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古代からの磐座であろう。クサリ場もある重なった岩を登って行くと、そこに奥宮(本殿)が鎮座している。
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神紋は「三つ巴」のようです。
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拝殿の右横には、建葉槌神が天津甕星を退治している彫刻も掘られていました。

常陸からの北の「まつろわぬ民」の象徴が天津甕星であったのでしょう。大和朝廷の東国制圧の証がこの宿魂石ともいえます。

さて『日本書紀』神代下の一書に、<天神が経津主神・武甕槌神を遣わされて、葦原中国を平定させられた。ときに二柱の神がいわれるのに。「天に悪い神がいます。名を天津甕星といいます。またの名は天香香背男です。どうかまずこの神を除いて、それから降って、葦原中国を平げさせて頂きたい」と。このとき甕星を征する斎主をする主を、斎の大人(イワイノウシ)といった。この神はいま東国の香取の地においでになる。>とある。

現在、香取神宮のご祭神は、香取大神=経津主神。しかし、上記一文は、香取大神=倭文神(しどり)=建葉槌神と言える一文。もしくは、経津主神=建葉槌神とも言える。この辺りの興味はつきないものです。

酒列磯前神社(さかつらいそざき)

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二番目の参拝は、阿字ヶ浦に鎮座する「酒列磯前神社」。延喜式式内社にして、名神大社。そして旧国幣中社である。祭神は、少彦名命。少し南にある「大洗磯前神社」と一対である。←(こちらは、大己貴命が祭神)
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参道には、両側に珍しくタブの木という樹木が。タブの木は霊が宿る木と言われていてるそうです。
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神紋は「十六菊菱」のようです。
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本殿は、流造。拝殿正面には、左甚五郎作といわれる「ブドウとリス」の彫刻がありました。
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このあと、昼食は、「ひたちなか魚市場」にて、かみさんは<かつおの刺身>私は、<マグロとイカの丼>をいただきました。うまい!!


大洗磯前神社

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三社目は、「大洗磯前神社」。こちらも、延喜式式内社にして名神大社。そして旧国幣中社です。祭神は、大己貴命。
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階段を登りきったところにある三の鳥居(中山鳥居)は、先の地震で残念ながら倒壊していました。
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随神門には、白ウサギが彫られていました。
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ご祭神 大己貴との関係でしょう。
さて、当社参拝の2つの目的の一つ。本殿は、誠に麗しい姿でした。
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萱葺きの一間社流造。感動!!confident
ちなみに拝殿は桁行き五間、梁間二間、一間向拝付入母屋造。(千鳥破風向拝部軒唐破風付)
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神紋は「三つ巴」紋でした。
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そして、最大の目的 神磯の鳥居。
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地震にも負けず、見事に立っていました。

再拝 鹿島神宮

2009年9月に一度参拝している「鹿島神宮」。(神宮の詳細は、クリックしてご覧ください。かなり詳しく書いてます。)

かみさんの希望で再度、参拝。
今回の私の目的は、両一の鳥居。
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まずは、明石の浜にある「東の一の鳥居」。
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利根川に面している大船津にある「一の鳥居」。 満足happy01

今回は、本殿もばっちり撮影してきました。
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二の鳥居は、先の地震で倒壊してしまいました。残念です。
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前回参拝時の写真が下の写真です。
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今日も33℃の猛暑。御手洗池の茶店で、宇治金時のかき氷を二人で食べました。
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一息つきました。

今日の神社巡りはこれにて終了です。

2011年7月16日 (土)

松風の人 吉田松陰とその門下

Photo 津本陽著「松風の人;吉田松陰とその門下」を読む。book十一歳にして藩主・毛利敬親の御前講義を行い、才覚を現した吉田大次郎。のちに吉田松陰として松下村塾を主宰し、伊藤博文、山県有朋などの英傑を数多く世に送り出した男は、いち早く「海外」を意識した稀代の思想家であった。黒船襲来を機に勃発した国難に、驚くべき向学心と行動力をもって立ち向かった松陰の、波乱に富んだ生涯を描く傑作評伝。

松陰先生は、実に多くの手紙を残しており、その手紙を丹念に拾い上げて一つの松陰先生像を描いてくれた。津本陽は、物書きとしては、読みづらく最低だが、この評伝はよかった。


2011年7月10日 (日)

小見川東急GC

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今日は、久しぶりに大学の先輩とのゴルフ。五十肩の痛みは少し和らいではいるものの、まだまだ腕は肩から上30度くらいしか上がらない。その上、NEWパターも未だにコツがつかめない。と思いきや・・・・・今日は前回とうってかわってNEWパターが冴えまくりました。ホワイトアイス万歳!!3パッとなし、1パット8回の28パット。いまだに手打ちの治らないアイアンをことごとく救ってくれました。43:46=89。充分満足!!さて猛暑との闘いも、昨日かみさんに買ってきてもらった「象印 ステンレスクールボトル 0.82L」のおかげで水分補給もOKでしのぐ。この水筒、最後まで冷たいままでお得です。うーん これは夏ゴルフには最適だ。

小見川東急は、いつ来ても癖もなく(接待向き)、本当に良いゴルフ場です。

2011年7月 9日 (土)

小説 平将門

Photo童門冬二著「小説 平将門」を読む。book栄華を誇る摂政関白・藤原忠平に仕えていた平将門は、猟官に明け暮れる生活に嫌気がさし、美しい湖水に囲まれた故郷の東国へ帰って行く。だが、そこには父祖の地を奪おうとする親族たちが待っていた。彼らを相手に苛烈な戦いを展開する将門を支えたものは、中央から独立し、理想の王国を築こうとする燃えるような熱情であった。夢を追い求め、純粋に突き進む風雲児の悲劇の生涯を描く長編。
将門をこんな風に書くのか?かなり違和感が強い。童門氏は、小説はいまいち。


2011年7月 3日 (日)

天空の舟 上・下

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宮城谷昌光著「天空の舟 上・下」を読む。久々の宮城谷物。中国物もところごころ何故か読んでないものがある。その中の一つだ。成湯王の軍師になり、夏王朝を倒して商王朝の礎を築いた伊尹が主人公である。生まれて、死ぬまでを余す事なく描写してます。物語は、神がかり的な描写からはじまる。不思議な力で洪水のときに桑の木に乗せられ水死をまぬがれた。それが主人公「伊尹」。彼はまず厨人(料理人)として王に仕えることになります。決して背伸びをせず、君主から虐げられても忠義を通していきます。結果として商の湯王(とうおう)が夏王朝を滅亡させて商王朝(殷)を開くと、最初の宰相となって国家の基礎を固めるのです。

湯王は摯(伊尹)を商に迎え入れる時に「三顧の礼」をもって迎えている。三顧の礼というと三国志における劉備が諸葛亮を迎える場面で有名だが、原型は、摯に対する湯でらしい。勉強になります。

「酒池肉林」で有名な中国王朝最初の悪女 桀の妃である妺嬉(ばっき)も登場する。しかし宮城谷氏はいつもながら本当の悪女にはしていない。このあたりも見所か。

白山神社

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文京区白山に鎮座する「白山神社」を参拝。この一帯の「白山」という地名の由来である。これにて、東京十社、準勅祭社すべて参拝となる。さてご祭神は、菊理比咩命。創開は古く、天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられる。よって、もちろん神紋は、三子持ち亀甲瓜花。
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住宅街に挟まれた狭い境内であった。
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本殿は長い通廊を経て一段高い位置に設けられていて浅間造りのようだが、入母屋造りになっていて浅間造りではないみたいだ。あとで気がついたのだが、アジサイで有名らしい。少し参拝するのが遅すぎました。

*東京十社とは以下の神社です。


根津神社
芝大神宮
神田神社
日枝神社
亀戸天神社
白山神社
品川神社
富岡八幡宮
王子神社
赤坂氷川神社

【参考】荏原神社

2011年7月 2日 (土)

杖下に死す/独り群せず

PhotoPhoto_2先週から、北方謙三続けて4冊続けて読んでしまいました。そういえば、とうとう「楊令伝」文庫本でました。待ち切れずに単行で読んでしまいましたが。さて、今回のこの二冊は、同じ主人公です。「杖下に死す」は、米の買い占めにより困窮する大坂の民たち。幕府お庭番の家系につらなる剣の遣い手 光武利之が、大塩一党の動きと幕府の策謀をあばき出す。胸奥を揺さぶる男の友情、幕末前夜を描く歴史物語。「独り群せず」は、大塩の乱から二十余年。剣を揮う手に庖丁をもちかえ、既に船場の料亭「三願」からも隠居を決め込んだ利之。乱世の相は商都・大坂にも顕われ始め、時代の奔流が、穏やかに暮らす利之を放ってはおかなかった…。信念に基づき命を賭す男たち。『杖下に死す』の続編となる歴史長編である。

主人公の光武利之と大塩平八郎の息子格之助の友情と利之の生き様はだけでなく、利之の妻となる「お勢」の凛とした強さにも惹かれる。「独り・・」で登場する土方は、「黒龍の柩」にない部分が描かれており、おもしろい。

やはり北方の歴史物は個性が際立っているところが最高なのだろう。


大国御魂神社

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府中市にある「大国御魂神社」を参拝。旧国幣小社にして、<武蔵国惣社>である。中殿に、大國魂大神・御霊大神・国内諸神を祀り、東殿に、小野大神・小河大神・氷川大神、西殿に、秩父大神・金佐奈大神・杉山大神と、武蔵の一宮から六宮までの六社を東西に祀っており、六所宮・六社神社とも呼ばれている。
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造りかえられた随神門の扉には、堂々たる十六八重菊の神紋。
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社殿の構造は、九間社流造、向拝五間、銅板葺、三間社流造 の社殿三棟を横に連絡した相殿造と珍しいものだ。
さすが、武蔵国造が代々奉祀して祭務を司った社である。

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