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2013年8月

2013年8月31日 (土)

史記 武帝紀三

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北方謙三著「史記 武帝紀三」完読。

book

武帝・劉徹の下、奴僕同然の身から大将軍へと昇りつめた衛青の活躍により、漢軍は河南の地に跋扈する匈奴を放逐する。さらに、その甥にあたる若き霍去病の猛攻で、匈奴に壊滅的な打を与えるのだった。一方、虎視眈々と反攻の期を待つ、匈奴の武将・頭屠。漢飛将軍と称えられながら、悲運に抗いきれぬ李広。英傑去りしとき、新たなる武才の輝きが増す―――。北方版『史記』、風雲の第三巻。

やっと李陵が登場しました。後半の主人公であるのは間違いない。これからが楽しみです。

2013年8月26日 (月)

湖底の城1.2

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宮城谷昌光著「湖底の城」一巻、二巻 完読です。
book

伍子胥は、父に向かってまっすぐに言う。「善をなすふりをして悪をなすことほど、悪いことはないとおもいます」父・伍奢は思った。「この子を教えるのは、人ではなく天だ」と。 豊かな水をたたえる長大な江水の流域で、春秋時代後期に覇権を争う、楚、呉、越。楚の人、伍子胥は堂々たる体躯で将来を嘱望される青年である。父は、王に重用され要職をつとめる。伍子胥は、呉との国境近くの邑・棠を治める兄・伍尚を助けるため船に乗り、江水を往く。強い信念をもち、父兄を尊敬する伍子胥は、地位や身分を越えてさまざまな人と出会い、歩むべき道を探していた。 「人材こそ国と家の宝だ。他国あるいは他家に取られてから、しまったと後悔しても、どうにもならぬ」 伍子胥は自らの目でみて、人材を集める術を探す。 春秋戦国時代に「目をくり抜いて城門にかけよ、呉が越に滅ぼされるのを見る」、という遺言を残したことで知られる楚の伍子胥。名将・范蠡(はんれい)の好敵手となった彼の、人脈の築き方とは――。勝負に挑む前の、人生の教訓に溢れた一冊。

一巻、二巻は、伍子胥の父・兄が、同じ楚の佞臣・費無極の陰謀により殺されるところまでを描いています。今後の展開が楽しみです。西施も登場しました。はやく続きの発刊お願いします。

2013年8月25日 (日)

孫子伝

Photo_2塚本靑史著「孫子伝」を読む。宮城谷氏の「湖底の城」が文庫本になりましたので、その前に読みたいと思いました。

book

世界に名だたる兵法書といわれる『孫子』。戦国武将・武田信玄から現代の経営者・孫正義に至るまで、孫子の教えに傾倒する人物は数多い。本書は、この不朽の名作『孫子』を著した人間・孫子が孫武であるという説に立ち、その生涯を活き活きと描き出した一代記。変人・奇人といわれてもおかしくない意外性に満ちた人間像に驚愕!中国の歴史を手玉に取る腕前、大胆な歴史推理を存分に愉しめる一冊。

舞台は春秋末期(前6世紀後半)。呉楚の睨み合いが続く古代中国で、斉出身の孫武は呉へ兵法家として赴く。その間に戦いの極意を記した名著を生み出すが、前506年を最後に一切の檜舞台を伍子胥に明け渡す形で姿を消すのである。

孫武とは一体どんな男だったのか。呉の王族で仕掛け人の季札、策士・伍子胥や范蠡と、どう絡み合っていたのか。

まあはっきり言って全くの期待はずれでした。塚本氏はいい作品とそうでない作品との差がありすぎるような気がしますね。

2013年8月23日 (金)

清須会議

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三谷幸喜著「清須会議」読みました。

book

信長亡きあと、清須城を舞台に、歴史を動かす心理戦が始まった。 猪突猛進な柴田勝家、用意周到な羽柴秀吉。情と利の間で揺れる、丹羽長秀、池田恒興ら武将たち。 愛憎を抱え、陰でじっと見守る、お市、寧、松姫ら女たち。 キャスティング・ボートを握るのは誰なのか?五日間の攻防を現代語訳で綴る、笑いとドラマに満ちた傑作時代小説。

暇つぶしには最高のエンタメですね。

2013年8月17日 (土)

信州旅行 3日目 (3)

軽井沢へ向かいます。

鬼押出し園
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浅間山(左)・黒斑山(右)が織りなす「寝観音」がまず迎えてくれます。
@黒斑山が顔の部分で、浅間山がお腹です。見えますよね。
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プリンスホテルが経営する鬼押出し園は、1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際にできた溶岩でいっぱい。その奇岩の姿に圧倒されます。
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園内には、東京上野の寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されています。
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レストハウスで、ミカドのソフトクリーム食べました。(会社のある日本橋にありますが)
白糸の滝
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白糸の滝にも寄りました。この辺りから車の数が尋常でないほど増えていきます。
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そして、一度軽井沢の街中をを抜けて碓氷峠にある「熊野皇大神社」へ
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熊野皇大神社
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かなりの獣道なので、新車でヒヤヒヤしながら登ってきました。こちらは、なんと境内の真ん中に長野県と群馬県の県境があるのです。
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神社の石碑も2つありました。

群馬県側に鎮座されるのが「新宮」(祭神: 速玉男命)県境に鎮座されるのが「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊 長野県側に鎮座されるのが「那智宮」(祭神:事解男命)になります。当然、和歌山の熊野から勧請されております。 こちらは由緒ある、信濃国佐久郡の式内社(永倉神社)比定社です。

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長野県側にご神木「シナノキ」があります。樹齢:850年 樹高:13.5m 幹回り:5.8mの名木でした。 さて、これにてこの夏の旅行はおしまい。 さすがに、軽井沢を抜けるのに1時間。軽井沢から千葉まで3時間。疲れました。

信州旅行 3日目 (2)

白根山 湯釜

今日は、軽井沢方面へ抜けていくのですが、まず北の白根山 湯釜を観に行きました。
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駐車場から、後方に湿地帯「弓池」を見ながら、20分ほど階段を登っていきます。
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今日もかなり高いところまで登ってきました。標高2000m強です。しかし、陽射しはきつい。
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湯釜が見えてきました。きれいなエメラルドグリーンです。
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少し拡大して写真を撮りました。

直径約300m、水深約30m、水温約18℃の火口湖です。水に溶け込んでいる鉄イオンや硫黄などの影響で特定の波長の光が吸収されてこのように見えると考えられています。 感動!! P1020385

側にある「弓池」も綺麗でした。
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レストハウスでは、喫茶「こまくさ」発見。(大学時代の合唱団の名前です)
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信州旅行 3日目 (1)

草津温泉

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草津といえば「湯畑」。その湯畑の側にある「ぬ志勇旅館」が2日目の宿泊場所です。
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右手に見えるのは「曹洞宗 光泉寺」の山門です。
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露天風呂の垣根の上からは「湯畑」が見えます。温泉も白旗源泉で熱いですが気持ちよかったです。
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初「草津温泉」でしたが、情緒豊かで本当に温泉街らしさがあり、また是非泊まりに行きたいです。

2013年8月16日 (金)

信州旅行 2日目 (3)

生島足島神社

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式内社名神大社にして旧国幣中社です。ご祭神 生島大神・足島大神の二神を祀ります。さて生島足島神とは?生島大神は「生み」の神、足島大神は「足る・満たす」の神とされ、 ともに日本総鎮守と仰がれる古い由緒を持つ大神とのことです。御名方命が当地へ(出雲から)下って来た時、二座の祭神が粥を奉仕したとされてますが、となると、この地方の地方神ということか。しかし、宮中にも祀られている生嶋巫祭神二座の生嶋神・足嶋神であり、国家天皇にとっては重要な神でもあるのです。一体?不思議です。
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神池が社殿を囲んでいるようです。
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神紋は「三つ巴」と「立梶の葉」紋。
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拝殿のすぐ近くにご神橋があります。
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本殿は流造でした。御本殿には床板が無く、土間の大地が 御霊代とされているそうです。
上田城阯
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甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城です。真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名。

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本丸櫓門に近づくと何らや待ち受ける人影が。
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信州上田おもてなし武将隊「幸村と真田十勇士」の面々でした。
右から猿飛佐助、筧十蔵、真田幸村 ― かみさん ー 穴山小助、根津甚八 です。
メンバーには、望月六郎もいるようです。

ちなみに、十勇士その他は。霧隠才蔵・三好清海入道、三好伊三入道、由利鎌之助、海野六郎ですが「おもてなし武将隊」にはいないようです。

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城内には「真田神社」があります。六文銭のでっかいカブトが目立ちます。
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さて2日目も終了。草津温泉へ向いますが、突然のゲリラ豪雨と雷雨が・・・・
でも草津へ着く頃にはあがってしまいました。

信州旅行 2日目 (2)

建御名方富命彦神別神社

白馬より鬼無里(キナサ)を抜けて長野へ。信濃国水内郡の式内社にして名神大社論社である「建御名方富命彦神別神社」を参拝。善光寺の東隣にあります。

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ご祭神は、建御名方神とする説とその御子神とする説がある。
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拝殿は瓦葺・入母屋造。拝殿の左右に脇拝殿が付属しており、左側の脇拝殿には扁額が無かったのだが、 右側の脇拝殿には「地主大神」と記された扁額が掲げられているので中に地主大神が祀られているのかもしれない。 P1020302

左手には何故か扁額がありませんでした。
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本殿は、一間社流造のようです。神紋は「葵紋」です。
ここで、やっと遅い昼食をとりました。
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長野 味噌の老舗「すや亀」にて、焼きおにぎりと田楽などついて定食を頂きました。善光寺門前味噌を堪能しました。
さてここからは、上田市の上田城・生島足島神社を目指します。

信州旅行 2日目 (1)

白馬で宿泊。ベルグハウス白馬というホテルに泊まりました。

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ホテルの裏はスキー場のゲレンデになっています。栂池高原の山々が気持ちいい。
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さあ、愈々今回の第一目的「八方尾根のトレッキング」へ向います。
↓八方駅へ向かう途中の橋から見る白馬連山です。
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朝8時。、まず八方尾根ゴンドラリフト-アルペンリフト-グラートクワッドリフト(総延長は3,445m)と乗り継いで、わずか40分ほどで標高1,830mの第1ケルン・八方池山荘へ。
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ここからトレッキングの開始です。目指すは2060m「八方池」です。
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2.5kmを1時間かけて、頑張って登りました。
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9時30分「八方池」です。見事な天気。池は鏡と化し白馬連山を写してくれてます。
来てよかった 感無量!!
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10時、風と靄により、奇跡の風景は終わりを告げます。早く登ってきたい者だけへのプレゼントのようでした。間に合ってよかったです。
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ニッコウキスゲなどの高山植物もたくさん見られます。
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八方尾根 万歳!!

2013年8月15日 (木)

信州旅行 1日目 (4)

仁科神明宮

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宿泊地「白馬」へ向かう途中 「仁科神明宮」を参拝しました。この地へ来てここは外せません。創祀以来、皇大神宮にならって20年ごとに式年造替が行われており、永和2年(1376年)から大正8年(1919年)まで、20年ごとに行われた造替の際の棟札が一枚も欠かすことなく保存されている。500年以上の長きにわたり、一度も欠かすことなく式年造替が奉仕されてきたことは、全国においても例を見ないことである。 そして日本唯一の国宝の神明造り。
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杉の古木がうっそうと繁る宮山の南麗に鎮座し、東は大峯山系に連なり、西は田園地帯と高瀬川の清流を見下ろす、遠く北アルプス連峰を望むことが出来る。

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本殿は、切妻造平入り、桁行3間、梁間2間、軒高6.6m、棟木の長さ8.3m余の日本最古の神明造り。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、棟木の上には巴紋をつけた勝男木6本が置かれている。破風板は、そのまま延びて千木となり、破風板にはそれぞれ4本の鞍掛があり、妻には棟持柱があるなど構造手法に古式がうかがわれ、神明造りの原形式を保存している点で、建築史上貴重な遺構である。

中門は、前殿あるいは御門屋ともいい、四脚門、単層で屋根は切妻造、檜皮葺である。本殿と同様破風板が延びてそのまま千木となり、鞍掛4本がついている。勝男木は4本である。
釣屋は、本殿と中門を連結するもので、本殿屋根と中門屋根間に棟木と桁をかけ、檜皮葺き・両下造(りょうさげづくり)の屋根をかける。柱・壁は設けない。
なお、社殿の国宝指定棟数は2棟(本殿と中門)とされ、釣殿は本殿・中門の付属という扱いになっている。
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静かで凛とした境内でした。感動!!
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信州旅行 1日目 (3)

碌山美術館

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「東洋のロダン」として知られる東穂高村(のちの穂高町(現在の安曇野市))出身の近代彫刻家・荻原碌山の個人美術館で、彼の作品と資料の蒐集、保存および公開を目的として、1958年4月に開館した。 また碌山と関係の深い芸術家たち、高村光太郎、戸張孤雁・中原悌二郎らの作品も併せて展示している。まず入り口には、キリスト教教会堂を思わせるシンボリックな建物に碌山の彫刻・絵画・書簡等を展示している。

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趣きのある美術館でした。
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大王わさび農場

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安曇野随一の観光スポット、北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田湧水群の一角にある、日本最大規模のわさび園です。

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安曇野といえど気温は29度。ここは、風が少しだけ涼しかった気がします。
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美味しい安曇野蕎麦を頂きました。
この後、わさび園の近くにあるという早春賦の石碑を探しに。
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ありました。歌碑の横にはソーラー電池式のオルゴールが設置されていて、いつでも早春賦のメロディが聞けるようになっています。安曇野の遅い春を待ちわびる心を歌った曲だったんですね。

信州旅行 1日目 (2)

住吉神社(安曇野)
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諏訪を後にして、長野道を北上。「安曇野」に到着。古代にこの地に移住してきた海人族安曇氏に由来するというこの町は、西にある北アルプスに抱かれた美しい町です。
そして、当然のごとく<海の神>である住吉神社が存在する。
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大きな両部鳥居をくぐると、北へ向けて杉木立の参道続きます。
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ご祭神は、勿論 「表筒男命・中筒男命・底筒男命」そして「建御名方命・神功皇后」。
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本殿は、3間×2間の流造。もともとは柿葺だったところに銅板が葺かれている。向拝と母屋の組物を舟肘木としており、頭貫の上には菊の彫刻。千木と鰹木を3本乗せている点は、大阪の住吉大社と同じ屋根飾りとなっている。この地を治めていた八面大王を倒し、悪政から救ったとされる伝説が有名な坂上田村麻呂の銅像もありました。
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穂高神社
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式内社名神大社にして旧国幣小社「穂高神社」参拝です。穂高駅のすぐそばにあります。こちらが里宮で、上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があるそうです。
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拝殿はかなり新しいもののようです。ご祭神は、本宮中殿に穂高見神(ほたかみのかみ)別名「宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)」、左殿に綿津見神(わたつみのかみ)、右殿に瓊瓊杵神(ににぎのかみ)、別宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、若宮に安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)、相殿に信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる)を祀っています。
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神紋は少し変わっています。「十四弁葉菊花」です。
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本殿は、三棟。補高造りの鰹木は見えませんでした。残念。
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ご神木は見事な孝養杉です。

毎年9月26日・27日に行われる例大祭の御船神事(お船祭り)は高さ6m長さ12mにもなる大きな船形の山車(だし)「御船(おふね)」をぶつけ合う勇壮な祭りだそうです。こんな山里なのに面白いですね。

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神社入口近くには、安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)の銅像もありました。

信州旅行 1日目 (1)

明野ひまわり畑

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中央道 韮崎ICを降りて15分。北杜市明野町のひまわりです。多くのひまわり畑を時期を分けて育成しているため7月から8月下旬にかけて、ひまわりを楽しむことが出来ます。

朝、7時30分到着。
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赤いひまわりで「ハート型」を作っていました。真ん中にいるのがかみさんです。
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八ヶ岳などの山々は残念ながら霞んでよく見えませんでしたが、青空の下の黄色いひまわりは、圧巻でした。
手長神社
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2010年秋の諏訪訪問の折に、参拝しそこねた諏訪大社上社末社「手長神社」へ寄りました。ご祭神は、手摩乳命 (てなづちのみこと)。近くにある足長神社(参拝済み)と対をなす由緒ある神社です。
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神紋は諏訪大社と同じ「諏訪梶紋」のようです。
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拝殿は、横長につづいており、左手に回廊をもっています。
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本殿は、撮影しにくいですが、神明造りでした。

2013年8月14日 (水)

信州旅行 2泊3日

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夏休みの後半は、明日より、かみさんと「信州旅行」出かけます。新車BMW320iMsportの初の遠乗りです。

初日は、北杜市明野のひまわり畑に寄り、一昨年諏訪大社を訪れた時に道がわからずパスしてしまった{手長神社}に参拝。そこから、「安曇野」に向います。

「安曇野」では、まず私の希望で「住吉神社」「穂高神社」へ。かみさんの計画で「碌山美術館」「大王わさび農園」「早春賦歌碑」などを巡り、白馬へ。白馬への途中「仁科神明宮」を参拝。そして宿泊地「白馬」へ。

2日目は、午前中まず「白馬トレッキング」。八方池を目指し、白馬連峰を満喫します。そこから長野へ向い、これまた外せない「建御名方富命彦神別神社」へ寄り、上田市へ。ここでは、「生島足島神社」「上田城」を見学して、2日目の宿泊地「草津」へ。

最終日は、白根山「湯釜」を観に行き、そこから軽井沢を目指します。「鬼押出し」「白糸の滝」「熊野皇大神社」を参拝予定。

我が家の旅行は、まず私が参拝したい神社を選び、かみさんがそこに肉付けしてスケジュールをたてます。これがなかなか充実のプランとなります。それでは、明日は4時起きなので早く寝ましょう。

2013年8月12日 (月)

玉祖神社

今日は、下関から防府へ足を運び、周防国一の宮である「玉祖神社(たまおや)」を参拝です。国幣中社にして式内社です。

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一の鳥居から参道は真北に伸びており、神名備でしょうか真正面に西目山が見えます。
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ご祭神は、三種の神器の 一つである八坂瓊曲玉を造られた玉祖命です。玉祖命 は五伴緒神の一柱として中国地方を治められ、ここ大崎の地で 歿せられたと伝えられ社殿の北、約五百米にある玉岩窟(たまのいわや)はそ の墓所と云われています。神紋は何という呼び名なのでしょうか、勾玉の中に亀甲紋です。後で調べたいと思います。
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均整のとれた社殿です。
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本殿は、三間社流造でした。千木が3つに勝男木も3つと少し変わった造りをしていました。
これにて、一の宮 50社目となりました。

防府天満宮

玉祖神社から、天神山の麓にある防府天満宮へ廻りました。

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道真が宮中での権力争いで失墜し、九州の大宰府に流されていく道筋での宿泊地の一つが防府とされており、この地にて、『身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ず此の地に帰り来らん』と誓ったという。道真が亡くなった翌年である延喜2年(904年)に創建され、「日本最初に創建された天神様」を名乗っております。

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階段を上がると美しい楼門があります。
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もちろん、牛の銅像も。
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神紋である「梅鉢紋」も至るところにありました。
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境内にある春風楼からは、境内と防府の街が一望出来ます。
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東行庵

防府からの帰り道美祢西ICで降りて吉田町にある「東行庵」に寄らせてもらいました。わが町下関市長府にある功山寺の末寺です。そして、ここには、高杉晋作のお墓、顕彰碑、奇兵隊のお墓があるのです。

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東行とは、高杉晋作の号です。晋作の死後、尼となって(谷梅処(たにばいしょ)と改名)、その墓を守り菩提(ぼだい)をとむらうようになりました。はじめは山形有朋(やまがたありとも)が住んでいた吉田の無隣庵(むりんあん)を僧堂にあてていましたが、明治17年に山形有朋・伊藤博文・井上馨(かおる)らの寄付によって、無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立されました。
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かの顕彰碑(文はクリックして2007/4/25当ブログを御覧ください)がここにあります。
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薄くなって近づいてもよく見えませんでした。だからお土産で買いました。↓
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書斎に貼りました。
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お墓にて、「こんにち日本があるのは貴方のお力です。」感謝を込めてお祈りさせて頂きました。<ちなみに曹洞宗のお寺です>
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手ぬぐい・湯のみもお土産で買ってしまいました。

2013年8月11日 (日)

豊功神社

2年ぶりに下関に帰省いたしました。親父の墓参りと高校の同期会がメインです。親父と母方の墓参りを済ませ、時間があったので散髪へ。そして最近まで全く知らなかった地元 長府にある美しい神社「豊功神社(とよとこ)」に参拝しました。

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豊功神社は 神話伝説の島として知られる満珠、干珠の二島を展望する絶景の此の地に鎮座する旧県社で、祭神は応神天皇・武内宿祢・穂田元清毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩公を祀る古くより櫛崎八幡宮の鎮座地であることが文書にも見えるが、慶長七年(1602)秀元公が当地に城を構えるにあたり、毛利氏の守護神、宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿に祀り、左に櫛崎八幡宮を遷し、右に高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称し、のちに松崎八幡宮と改称しました。 天保五年(1834)毛利秀元の霊祠に豊功大明神の称号が許され、慶応二年(1866)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊功神社と名づけられ 明治十年豊功神社と改称されました。大正六年松崎神社と合祀し此の地に移遷 昭和四十四年火災により社殿焼失、仮社殿のまま今日に至ります。(由緒より)

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神紋は、毛利家の家紋「三ツ星一文字」のようです。豊功大明神は毛利秀元公ですからね。

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本殿は、神明造りでした。

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境内からは、瀬戸内に浮かぶ満珠・干珠のニ島が間近に見えます。

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日本書紀に

「仲哀2年の春、1月11日、仲哀天皇は息長足姫(おきながたらしひめ)を皇后としました。 秋7月5日に皇后は豊浦の津に着きました。この日、皇后は如意の珠を海の中から手に入れました。」の一文がありますが、これが満珠・干珠之伝説です。

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境内社「竜神社」がありますが、由緒には「豊浦の海は古来龍宮界との窓口になっている海域として知られています。神功皇后様もこの海で住吉三神から潮満潮干、二宝珠を授かり大陸から凱旋しました。それが眼前の満珠干珠の二神島です。当社はその龍宮のお使いである龍の御神徳を仰ぎ、千年前より地元を始め、遠近の人々に奉斎されております。正に豊功神社境内は龍宮に向かって開かれた神域として龍神の水徳発揚の聖域と申せましょう。」とありました。

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新羅討伐の凱旋の折、如意の珠を武内宿禰が海にお返しすると満珠・干珠のニ島ができたという伝説です。社殿右手にその絵図もありました。

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是非、長府に訪れた際は、ご参拝してみて下さい。

2013年8月 4日 (日)

額田女王

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井上靖著「額田女王」を読む。

book大化改新後の激動する時代、万葉随一の才媛で“紫草のにほへる妹"とうたわれた額田女王をめぐる大ロマン。朝鮮半島への出兵、蝦夷征伐、壬申の乱……と古代国家形成のエネルギーがくろぐろと渦巻く中で、天智・天武両天皇から愛され、恋と動乱の渦中に生きた美しき宮廷歌人の劇的で華やかな生涯を、著者独自の史眼で綴り、古代人の心を探った詩情ゆたかな歴史小説。

額田女王は、中大兄皇子と大海人皇子の両方から求愛を受けた女性である。しかし、巫女としての特殊な立場から、いずれの妃ともならず、不思議な立場を保っている。この不思議な立場は、額田女王が巫女として神に心を捧げ、自分を第一と考え、両皇子のいずれにも心は渡さないと誓うところから来ている。 この額田女王を通じての中大兄皇子と大海人皇子の井上靖の見方が興味深い。中大兄皇子は火であり、大海人皇子は水であると評している。両者のこの印象は小説全体を通じて感じられるようになっている。

お買い物

Photo_2 Photo_3今日は、幕張アウトレットとGOLF5に買い物に出かけました。結局、買い物といえば、ゴルフ関係のものだけ。

UVカットの半袖ジップのウェアと晴雨兼用のパラソルを買いました。日差しの強い中で活躍してくれるでしょう。これに、先週ネットで購入したエドウィンのショットパンツを加えて8月GOLFは万全です。

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