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2013年10月11日 (金)

魔将軍

Photo岡田秀文著「魔将軍―くじ引き将軍・足利義教の生涯」を読む。 book「かりに予が将軍となれば、あくまで予は予の姿勢を貫き通すであろうぞ。さすれば守護大名や宿老たちが、予を将軍へ推したことを後悔するであろう」―そう言い、くじ引きで将軍になった室町幕府六代将軍・義教。のちに「万人恐怖」と言われ、苛烈なまでの政治を行ったその真意とは。黒衣の宰相・三宝院満済と、義教の走衆・市三郎(架空)が見つめる真の姿とは。小説推理新人賞受賞作家が描く長編歴史小説。 さて、題名である足利義教は足利将軍の中でも一番恐れられた将軍である。彼の治世を『万人恐怖の政治』と呼んだ。どのような政治をしていったのか?どのように恐れられたのか?そして何を目指していたのか?かなり興味深く読みました。彼は足利幕府将軍家の慣例により将軍を継ぐ立場になかった為、仏門に入って『義円』と名乗っていました。そしてその類まれなる才能により若くして百五十三代天台座主となり、『天台開闢(かいびゃく)以来の逸材』と呼ばれるほど、将来を嘱望されていました。しかし、義円の運命が変わる出来事が起こる。兄で四代将軍足利義持の子である五代将軍足利義量(よしかず)が急逝してしまう。そして、親であり義量を後見していた義持も後継者を決めないままこの世を去ってしまう。管領畠山満家の発案で、石清水八幡宮のくじ引きで複数の候補者(兄弟の梶井義承、大覚寺義昭、虎山永隆、義円)の中から将軍を選ぶことになる。くじ引きに関しては、神を感じていた中世のことだから公正であったとする説や三宝院満済らが事前に仕組んだ不正であるとする説もあるが、義円が選ばれたのである。このことから六代将軍に就任した義教は、『くじ引き将軍』と呼ばれるようになった。ここから、彼の独裁への道が始まる。まるで、信長・秀吉・家康の先を行くがごとく。初めての比叡山攻撃、守護大名への抑圧。明確な国家観を持ち、リーダーシップを発揮していった、優れた為政者としての一面は評価しなければならないだろう。 勉強になりました。

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