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2014年1月

2014年1月25日 (土)

家康死す 上・下

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宮本昌孝著「家康死す 上・下」を読む。 book独力で三河一国を平定した家康が凶弾に倒れた。時に26歳。その死が伝われば、桶狭間で勝った織田信長、甲斐の武田信玄、衰えたとはいえ今川氏真らに挟まれた脆い均衡が揺らぎ三河存亡の危機を招く。家康の第一の側近、世良田次郎三郎は、広忠寺の住職に収まっていた家康の異母弟・恵最を急遽身代わりとして擁立した。 家康 影武者物はいくつかあります。ほぼ関が原や大坂の陣で身代わりが登場するのだが、本書はもっと若く、やっと人質から解放され、三河をなんとか平定した若き頃に遡り、影武者を立てたとことに惹かれ読み始めました。ネタばれになるので中身は書けませんが、作者の大胆な推理をもとに構築された世界にあっという間に引き込まれます。是非ご一読を!!

2014年1月24日 (金)

大相撲観戦

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今日は、お客様と大相撲観戦に行ってきました。13日目とあって「満員御礼」です。升席からの観戦ですが、外国人のおばちゃんが、取組みごとに贔屓の力士の大絶叫で応援しているのが印象的でした。思った以上に大勢の外国人観光客が観戦に来ていました。あの両国国技館の地下で作られているという「焼き鳥」美味しかったです。
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白鳳の土俵入りも観る事が出来ました。やはり日本人ですね。「遠藤」の応援が一番大きかったです。見事、琴欧州を破って、やんややんやの喝采を受けていました。
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白鳳は万全の相撲でした。初めての大相撲観戦でしたが、テレビで見るよりも時間のたつのが早く、また迫力満点で大満足でした。

2014年1月18日 (土)

黒南風の海

Photo_2伊東潤著「黒南風の海~加藤清正 文禄・慶長の役」を読む。

book
もはや生まれた国などどうでもよい。一度、この大地に生を享けた者は、この大地に恩返しすればよいのだ――。
文禄、慶長と二度に渡って行なわれた、豊臣秀吉の朝鮮出兵。それは、日本と朝鮮両国にとって、無益な戦そのものであった。
主人公は、文禄・慶長の役で日本軍の先陣を務めた加藤清正の鉄砲隊をあずかる佐屋嘉兵衛忠善と、朝鮮のなかでも治め難い地である咸鏡道の役人・金宦。
日本軍が破竹の進撃を続けるなか、加藤清正軍の先手として活躍するも、他国を侵す戦いに疑問を抱きはじめていた嘉兵衛と、都を落ちのびて咸鏡道にやってきていた王子を守る金宦があいまみえる。
嘉兵衛、金宦、そして加藤清正……、戦う男たちのあいだに何があったのか? 息をもつかせぬ展開、そして怒濤のクライマックスへ。誰もがあきらめかけたとき、男たちの生き様が戦場に奇跡を起こす!
新進気鋭の歴史小説家が、「文禄・慶長の役」を真正面から描いた渾身の長編小説。

主人公の一人佐屋嘉兵衛忠善こと「さやか」が登場します。「さやか」は司馬遼太郎が『韓のくに紀行』(1978年・街道をゆく2)で書いてからよく知られるようになった。その時の評価は大義なき戦のなかの正義の反逆という感じだったと思う。

本書においては、そもそも人間としての生き方・あり方のようなものを教えてくれる。これは、単に国や軍隊といった中だけでなく、企業をも含めた組織中の個としての人間の生き方にせまるものではないだろうか。ご一読を!!

2014年1月15日 (水)

業政駈ける

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火坂雅志著「業政駈ける」を読む。 book西上野の地侍たちから盟主と仰がれ、信義あふれる心で上杉謙信をも動かした知将、箕輪城主・長野業政。一切の利欲を捨て、国を豊かにし、民の暮らしを守る―。滅亡の危機に瀕しながらも、その鬼謀と胆力をもって武田軍の侵攻を退け続けた男は、関東をただす義の戦におのれの最後を賭す。河越夜戦で逝った息子への誓いと上州侍の誇りを胸に、戦国乱世を疾駆し、強大な者の理不尽に敢然と立ち向かった気骨の生涯を描く!

業政を有名にしているのは、西上州を甲斐武田軍の手から守り抜き、独立不羈を維持し続けたという事です。

野心に燃える武田晴信の軍勢を五度(四度とも六度とも)にわたり跳ね返し、晴信をして「業政が上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と言わしめる程。
心底武田ファンな人の中には「武田信玄が長野業政に勝てなかったのは捏造」という人もいるようですが、講談本であるとか軍記物であるとかだと、少なくとも以下の四つの戦いは「確定」しているようです。
(1)弘治三年、いわゆる「瓶尻(みかじり)の戦い」 武田太郎義信を総大将とした一万の兵が碓氷峠を越えて西上州に進出。 長野業政は西上州の姻戚関係にある諸将を結集し二万の兵を集める瓶尻にて応戦。 当初は上州勢が優勢に進めるも諸将の足並みがそろわず撤退するも箕輪城で篭城し、武田軍を撤退させる事に成功。
(2)永禄元年 前年の敗退を受け、今度は晴信自らが二万の兵を率いて碓氷峠を越えて武田軍が来襲。 業政軍は夜討ち・朝駆けを駆使して散々に武田軍を悩ませた後に火攻めにより武田軍の兵糧を焼き討ち、武田軍を撤退させた。
(3)永禄二年 懲りない晴信は今度は西上州の諸将の連携を断つべく各個撃破に出るべく旗下の勇将に安中城・倉賀野城・和田城等を攻めさせます。 箕輪城から援兵を率いて駆けつけた業政は晴信本陣を奇襲し、さらに追ってくる武田軍を伏兵にて蹴散らして損害が大になった武田軍は撤退しました。
(4)永禄三年 またも西上州に攻め込んだ武田軍。業政は今度は最初から篭城策を取り長対陣なのか季節が悪かったのかはわかりませんが、武田軍は飢えと寒さに苦しんだそうです。 そんな中、安中城主安中忠政が武田軍の補給路を襲撃し、混乱の最中に業政が城中から出撃し総攻撃。被害甚大のため武田軍撤退。
判官びいきの日本人にとって「痛快!!」な人物といえるでしょう。ましてやその年齢。信玄もさぞや、「あのくそ爺め!」と罵っていたことでしょう。この小説では、業政のいくさ上手だけでなく、小さな地侍の民を思う心根にも触れており、人間臭い「業政」の一面も見せてくれます。
ご一読を!

2014年1月12日 (日)

草原の風 上・中・下

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宮城谷昌光著「草原の風 上・中・下」を読破。
宮城谷氏:「中国で革命を起こして皇帝の位に即(つ)いた英雄に魅力のない人はいない。そのなかでも特に私が好きなのは後漢王朝を樹立した光武帝かもしれない。そう考えたのは三十年も前であり、まさか光武帝を小説に書く時がくるとは想(おも)ってもみなかった。光武帝にはユーモアがある。しかもかれの創業は颯爽(さっそう)としており、王朝を確立したあとにも温雅さがあった。三国時代に比肩する群雄割拠の時代の頂点にのぼりつめた光武帝の事蹟(じせき)を追って、読者とともに楽しみたい。」
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中国歴史上、功臣の粛清を一切しなかった唯一といってよい皇帝、この光武帝劉秀なのです。 中国史上最高の名君といわれる李世民(唐)は、大規模な粛清こそしなかったものの、登極するまでに兄弟を武力で打倒し、晩年は後継者問題を起こすなど、それなりに血なまぐさい経歴を持っています。 それに対し、劉秀は兄の仇でさえ許して重用したり、降伏させた敵を処断せずに丁重に取り立てたりします。 覇業完成までに、多くの血を流したことは事実ですが、感情や偏見によって他人の命を奪うようなことは決してしなかった人物です。その意味では、覇道ではなく王道を着実に歩んだ人物だとも言えるでしょう。

だから、読んでいて清々しい気持ちになります。是非ご一読を。

2014年1月11日 (土)

本年初コンペ

4今日は、会社(部)のコンペが埼玉の「こだまゴルフ倶楽部」で行われました。ゴルフ場まで事故渋滞もあり、2時間30分。これだけで疲れてしまいます。こちらは、会社の関係もありよく利用するのですが、とにかく遠いのが難点。また、何故か相性も悪く、ショットがいいとパターが駄目、パターがいいとショットが駄目、また大たたきのホールがあったりと、なかなかいいスコア(私にとってのいいスコアは80台)が出せません。案の定、48:46=94。しかしHDCPに助けられ準優勝することができました。優勝は、3日にも一緒に回った同期の「つるちゃん」。もっとHDCPに助けられ、優勝をさらわれました。本日は、ニアピンも1個GET!!帰りですが、3時間を覚悟しておりましたが、3連休ということもあり帰りの車は意外と少なく1時間半にて自宅へ。これには救われました。次回は、千葉で!!

史記 武帝紀 五

5 北方謙三著「史記 武帝紀 五」を読む。

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大きな戦果をあげてきた大将軍・衛青を喪った漢軍は、新たな単于の下で勢いに乗る匈奴に反攻を許す。

今や匈奴軍の要となった頭屠の活躍により、漢の主力部隊である李広利軍三万はあえなく潰走した。
一方、わずか五千の歩兵を率いて匈奴の精鋭部隊が持つ地に向かい、善戦する李陵。匈奴の地で囚われの身となり、独り北辺の地に生きる蘇武。
そして司馬遷は、悲憤を超え、時代に流されようとする運命を冷徹な筆でつづり続ける―――。北方版『史記』、慟哭の第五巻。
五巻では、愈々 武帝の晩年の圧政、「李陵の族滅」と「司馬遷の宮刑」が登場します。中島敦「李陵」の場面ですね。そして、信念の男 蘇武。この三人の其々の厳しい境遇での生き様が語られ始めます。 そして、老いからくる劉徹の堕落。あと二巻のようです。

2014年1月 6日 (月)

靖國参拝

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今年も恒例の初詣にて「靖國神社」に参拝いたしました。特に寒い日だった上、参拝時間が16時半でしたので、震えながらの参拝となりました。例年よりも人では多かった気がします。
色々、いちゃもんで問題のある靖國ですが、これで4年連続の参拝。公人でなくてよかった。
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2014年1月 4日 (土)

初詣 香取神宮

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今日は、小見川でゴルフなので早めに出かけ、交通安全祈願をしてもらった「香取神宮」に初詣です。地元の「子安神社」へ2日に参拝したので二社もとなります。三社めは、月曜日に会社から行く「靖國神社」です。
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暫く、改修をしていました拝殿・本殿の葺き替えも終わり、また美しい姿をあらわしてくれました。
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この重要文化財である三間社流造に本殿は本当に美しく言葉を失います。
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神紋も綺麗にお化粧直しをしておりました。
要石と奥宮にもちゃんとお参りさせていただきました。さすがに、皆しらないのか、非常に重要なこの場所には、参拝客は一人もいませんでした。
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最後に、「おみくじ」ですが<<<大吉>>>でした。
言葉; ひそみ居し ふちの龍らも時を得て 雲井に登る かげのめでたさ
もう今年は、二度とおみくじを引きません。

連チャンのゴルフ

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昨日に引き続き、今日も正月ゴルフ。今日は大学の先輩との恒例の「小見川東京ゴルフクラブ」でのプレーです。

Y田先輩が都合が悪く、初めてO島先輩と同伴させていただきました。あとは、いつもの★田先輩とN道先輩です。
さて前半は、アイアンが全くダメで、苦手のバンカー地獄からのホームランやめったにやらない3パットなどで自滅。47と危機的状況でした。
雨も心配されましたが、昼からは気温もぐっと上がりダウンもいらないくらいの暖かさ。天津丼を食って気持ちを引き締めました。相変わらずボールはちらばるものの、なんとかアプローチなどで凌ぎ、後半は42でまとめました。例年よりグッと早い時期での80台で、最後は満足で帰りました。来週も苦手で大嫌いな「こだまゴルフ倶楽部」で会社のコンペです。ここは、遠い~。

2014年1月 3日 (金)

2014年 初打ち

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2014年の初打ちは、自宅から20分で到着の「中山カントリークラブ」です。メンバーのバシジュン先輩とすーさん、同期のつるちゃんとの和気藹々のパーティーでした。グリーンが凍っていて、折角のパーオンが二度ほど大きく弾かれる不運にも見舞われ、今年しょっぱなは、46:45=91といつものスコアでスタートです。
バシジュン先輩は、ニューパターも相性がいいようですし、さすがメンバー、アプローチが格段に良くなっておりました。
残念ながら、バーディーは、スーさんのロングホール1つのみでした。
私は、1か月ぶりのラウンドで、しばらくボールが上がってくれなくてドライバーも散々、やっと9ホール目から多少回復してきましたが、どうも冬場は苦手です。
しかしここはやはりやりがいのある、いいーゴルフ場ですね。また挑戦したいです。

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