2009年11月15日 (日)

宮城谷 三国志3・4

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文庫本3・4巻。やっと出たのですぐに完読。1・2巻では、後巻衰亡にいたる、外戚・宦官の醜い攻防を中心に黄巾の乱勃発の事由を歴史書の如く展開しおり、これは中々、先へは進まないと思っていたが、3・4巻の展開は意外と速かった。表紙にあるように、曹操の挙兵と青洲支配、劉備の徐州支配と呂布との攻めぎ合いへと進んでゆく。勿論、董卓の専横、袁紹・袁術・孫堅なども軒並み登場。愈々本丸へ入ってきたかという感じだ。勿論あっというまに読み終えた。またしばらく待たねばならない。宮城谷氏が、皇甫嵩を惜しんでいるところが垣間見えるが、やはり鋭い洞察だと思う。劉備の扱いが少ないので、演義ファンには向かないような気がします。

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2009年5月22日 (金)

太公望

Photo_3Photo_5 Photo_6「王家の風日」に続き宮城谷昌光著「太公望」を読む。「王家の風日」と表裏一体となる作品だ。それにしても宮城谷作品は、文字の勉強になる。文字の成り立ち、本来の意味、使われ方等々。文字の重たさというものを勉強させてもらえる。さて、本書は、少年 <望> が、商が行う狩(人狩り)で受王に父親を殺され、彼はその手で王朝を滅ぼすことを心に強く誓う・・・そして長い年月をかけ受王を討ち果たし天下を釣り上げるまでの苦難と術策を中心に物語は展開してゆく。人に逢うたびに成長する<望>。そして彼の魅力に集まる男たちもまた何がしかの魅力を持ち合わせている。中国史上最初の天才軍師「太公望」をよく言われる老人でなく、少年から青年として描き、羌族の長として周・召を初めとした国々を悉く見方につけてゆくところがおもしろい。この時代は、封神演義のようにスーパーサイキックな物語しか読んでいなかったので、宮城谷氏には感謝感謝!

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2009年5月10日 (日)

王家の風日

Photo 宮城谷昌光著「王家の風日」を読む。王朝の再生をねがいつつ、その滅亡を予見した見えすぎる眼のひと−商王朝最末期を生きた名宰相「箕子」を中心に、最後の王受(紂)、周候姫昌、革命児太公望など多彩な人物の活躍と、大いなる王家「商」の戦慄の日々を描く。

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2009年4月19日 (日)

香乱記

Photo_2 宮城谷昌光著「香乱記 1巻~4巻」を読む。秦の始皇帝死後すぐの楚漢戦争時代すなわち項羽と劉邦の時代を「田黄」を主人公に描いていきます。如何なる権力にも屈しない強さ、勇敢さ、聡明さ、民への優しさを持った一代の英雄です。田黄は、始皇帝崩御による歴史の大変動の中で、兄たちと共に「他国への不可侵」という理想を持った斉国の樹立を目指して立ち上がります。そして楚漢戦争後、覇権を握った劉邦に群雄は悉く屈するがたった一人田黄のみは降伏をしない。この生き方と死に様が、田黄の英雄らしさだ。田黄は語る「玉のような生きかたをすると、わずかな瑕にもおびえねばならない。石のようにごろごろと生きるのがよい」と。すがすがしさが残る宮城谷 田黄に是非触れてください。お勧めです。

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2009年3月14日 (土)

宮城谷「三国志」

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文庫本の冊数がもう少し出るまで読まないつもりでいたが、つい手を出してしまった。

まだこの1・2巻しかでていない。正史三国志をもとに書き続けるらしい。宮城谷氏らしいと思う。曹操の父 曹騰の幼少時代から始まる。外戚と宦官の醜い権力争いの黎明期ともいえよう。そして、三国志の主役はまだ、若者の曹操しか登場していない。やっと2巻の最後に黄巾の乱の勃発。いよいよここからだ。歴史の詳細な調査に基づく構成から物語へ如何に発展してゆくのか、これからが楽しみだ。

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2008年10月12日 (日)

子産

1 2_2 宮城谷昌光「子産」を読む。春秋時代の弱小国・鄭の国の執政として善政に勤め、かの孔子が私淑し、その死に涙した仁愛と礼を重んじた人であった。子産が宰相になって 5年すると 国に盗賊がいなくなり、道に落ちているいるものを誰も拾わず、3年天候不順でも飢えるものがなかったと 「韓非子」にある。時代に並ぶもの無き政治家であったようだ。

子産の目は憂色に染まる。君主の時代が終わり、大夫たちが主権を争う春秋時代のなかば、中原の小国・鄭は晋と楚という2大国の間で向背をくりかえしていた。いまや民は疲弊し、国は誇りを失おうとしている。乱世の戦場にあざやかな武徳をしめす名将・子国の嫡子に生まれ、この時代最上の知識人となる子産は、信義なき自国の悲哀をみつめながら波蘭の人生へと踏みだしてゆくのである。謀叛に巻きこまれ、父 子国は果てる。3年の長きにわたり喪に服した子産はその後、苛烈なる改革者にして情意あふれる恵人として、人を活かす礼とは何かを極め、鄭と運命をともにしていく。

時代を超えることばをもった最初の人・子産とその時代を、比類なき風格と凛然たる文体で描く、宮城谷文学の傑作長編である!

孔子は敬愛する政治家として子産を『論語』公治長篇で次のようにいっている。
 

「かれは,次の四点において君子の資質を備えていた。
 一,行動は慎重であった。
 二,上級者に対する敬意を忘れなかった。
 三,人民に恩恵を施した。
 四,人民を不当な使役にかりたてなかった。」と。

是非ご一読を。

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2008年10月 4日 (土)

楽毅

1_3  宮城谷昌光著「楽毅 1~4巻」を読み終える。かの諸葛亮孔明が憧れたという中山国と燕の名将だ。若かりし頃「人が見事に生きるのはなんと難しいことか」と述べる楽毅であるが、その人生は、見事の一言に尽きる。小国 中山国を最後まで戦い抜いて守ろうとした。弱燕とまで言われた燕に迎えられ、斉への復讐に大望を抱く昭王を支え、軍制の改革や外交のあらゆる手段を用い、楽毅は燕と趙・魏・韓・秦の連合を実現し、その連合軍の指揮官となり見事 5年にて斉の七十余城を下し、ほぼすべての郡県を燕の領土に加えた。

本書には、楽毅が一番に尊敬してやまない孟嘗君。「先ず隗より始めよ」で有名な郭隗も登場する。楽毅は、法においては、孫子を学び、孫子をもって戦場へ望み、生き方においては、呉の伍子胥を見習う。筋を通した上で、自分の与えられた境遇で最大限の努力をする生き方はさすがである。

正しきマネジメントという意味でも参考になり、かなりおもしろい小説であった。

是非ご一読を!

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2008年9月13日 (土)

沙中の回廊

1_2 2 宮城谷昌光「沙中の回廊」を読む。春秋戦後時代、晋の文公(重耳)の車右から宰相にまでなった士会を主人公とした話である。士会は法律を司る家に生まれ、教養を大切にする一家にあって、武道にすぐれた精悍な青年に育つ。そして勇猛と誠実な人柄から軍人として一歩一歩出世していくのだ。その兵略は右に出るものはなく、戦って負けない。徳と礼を重んじる市会の軸が全くずれない生き様は「才徳」という言葉がぴったりだろう。

さて本書には、様々な警句(アフォリズム)が含まれている。そして春秋の五覇といわれる晋の文公、秦の穆公、楚の荘王の3王が登場する、わくわくする時代でもある。「三舎を避ける」「鼎の軽重を問う」「鳴かず飛ばず」などの格言も物語を彩る。弗(ふつ)という、士会の最初の家臣であり、後に家宰となる人物の洞察力、士会を引き上げた宰相先軫の生き様も見事であった。是非ご一読を!

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2008年9月 4日 (木)

星雲はるかに

Photo_3 Photo_4 宮城谷昌光著「青雲はるかに」を読む。

秦の名宰相范雎の半生を綴った物語。

范雎をまず説明しておこう。苦労して学問を身につけ、密かに大望を抱きつつ、諸国を巡っていたが,魏の中大夫須賈(シュカ)に仕えた。やがて須賈が魏王の使者として斉に派遣されたとき随員となる。斉王は范雎の弁舌の才を聞き,范雎に金品を贈った。ところが,范雎がこれを断ったにもかかわらず,帰国後,須賈は折衝の失敗原因を范雎が斉に通じていたからである,と報告した。范雎は魏の宰相魏斉から鞭打たれ,簀巻きにされて厠にほうり込まれた。九死に一生を得た范雎がその復讐に燃える。後年、名も張禄(チョウロク)と改めて秦に入り,昭王に仕えた。ここで范雎は,“遠交近攻の策”を昭王に説き,昭王の心をつかむ。そして前266年,宰相となり,応に封ぜられ応侯となるのだ。

宮城谷の小説は、不思議な薬売り吟尼との出会いから物語は始まる。

范雎は雲をみあげた。雲のかたちが階段のようなのである。その階段を目でのぼってゆくと、深縹色の天である。・・・これが本書の布石であろうか。

そして謎の女性原声との出会い、鄭安平との友情。秦にはいるまでの話は、ドラマチックでドキドキさせられる。本人はストイックなのに、なぜか美女にに惚れられる。しかも、絶世の美女や気だての良い女性にばかり。このあたりが、少しうざいかも。

范雎が有名なのは、やはり鄭安平を推挙して秦の将軍にし、財産を投げ打って自分を助けてくれた人に礼をして回ったことだろうか。「一飯の徳も必ず償い、睚眦(がいさい。ひとにらみすること)の怨みも必ず報ゆ」である。

名句もところどころに散りばめられ、さすが宮城谷氏と思わせた。是非ご一読を!

しかし、将軍白起がやはり最も興味深い人物となった。

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2005年8月27日 (土)

梁甫吟

諸葛亮孔明が好んで口ずさんでいたとされる楽府詩である。

歩 出 斉 城 門 (歩みて斉の城門を出れば)
遥 望 蕩 陰 里  (遥か蕩陰の里を望む)
里 中 有 三 墳 (里中に三墳あり)Img225
累 累 正 相 似  (累々として正に相い似たり)
問 是 誰 家 墓 (問う 是れ たれの墓ぞと)
田 疆 古 冶 子 (田疆と古冶子なり)
力 能 排 南 山 (力は能く南山を排し)
文 能 絶 地 紀 (文は能く地紀を絶つ)
一 朝 被 讒 言 (一朝にして 讒言を被り)
二 桃 殺 三 士 (二桃もて三士を殺す)
誰 能 為 此 謀  (誰か能く 此の謀を為すや)
国 相 斉 晏 子 (国相なる斉の晏子なり)

孔明は、草櫨にあって斉の名宰相「晏子」のように社稷を尊び天下国家の経営に参与したい思いがあったのであろう。さてこの「晏子」を知ったのは、10年くらい前である。宮城谷昌光の「晏子」という本である。司馬遷が御者にまでなりたいと言った程の名宰相である。それまでは、名宰相といえば「倉禀実ちて礼節を知り、衣食足って栄辱を知る」の名言で知られる管仲ぐらいであったが、三国志と宮城谷氏のおかげでいろいろ勉強したものである。この時期は、確か静岡に住んでいたはずだが、「重耳」「孟嘗君」などを長いなあと思いながらよく読んだものである。中国の歴史は本当にタメになるしおもしろい。昨年の4月に日露戦争の舞台である「旅順」「瀋陽」を訪問したが、これもまた言葉にしがたい感動を覚えたものである。まだまだ行きたい場所は数多くあるが 、今の日中関係ではそれもままならない。なんとも歯がゆいものである。

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2005年8月 6日 (土)

介子推

Img224 介子推(かいしすい)は、後の晋の文公「重耳」に仕えて、彼が諸国をさまよって飢えに苦しんでいた時にひそかに食糧を確保したり、刺客の凶刃から守ったりした人物です。重耳は19年という長い亡命生活を終えて晋へ帰国を果たして君主の座に着きます。そこで、これまで彼に従って来た臣下達に論功行賞を行いますが、帰国する直前に重耳とその重臣である咎犯(きゅはん)のやりとりを目撃するのです。咎犯は重耳に対して自分たちの手柄を誇るようなことを言い、重耳もそれを認めて絶大な報酬を与えることを約束します。介子推は重耳を助けたのは咎犯など重臣達だけではなく、重耳に付き従って苦労を共にしてきた者達すべてであると考えています。また、重耳は天によって守られてきたのであり、君主になるのも天の考えだと思っています。ですから個人が手柄を誇るのは間違っており、それを認めた重耳に失望してしまうのです。そして、重耳は自分の君主ではないと考え、母と共に山へ姿を消してしまいます。やがて、介子推の隠れた働きを知った重耳(文公)は、彼を大夫として賞し再び自分の配下になってくれるように彼を探します。しかし、介子推は、二度と山から姿を現すことはありませんでした。文公はどうしても介子推に会いたく、山に火をつけた。逃げ道を 1本だけ確保しその出口で待てば、そこから出てきた介子推に会えると。だが、それでも介子推は山を下りなかった。焼山からは母をしっかりと抱きしめた介子推の亡骸が見つかったという。文公はこれを恥じ、綿上山を介山と、改めかの地を介子推の地として立入禁止とした。そして、人々は介子推の死を悼み清明節の前日には火を使わず冷たい食事のみをとった(寒食節)と言う。寒食の日に火を用いない理由というのが中国全土で介子推を悼んでいるからなのだそうです。宮城谷氏の小説の中に、次のような場面がある。介推が重耳の住居に火を放った刺客を退けたのち、従者の慈英と話しているところです。

「わたしは籍沙さんが好きだ」
 介推は少し声を高くした。
「わたしもですよ」
 慈英はつぶやくようにいった。
「あの人の心は、くもりがない。そんな人がどうして重公子の暗殺に手を貸すのか」
「わかりませんが、わたしには籍沙さんが犯人におもえます」
「慈英よ。人を疑うと、ふたつのつらさをいだくことになる。その人が犯人でなかった場合、自分がみじめになる。また、その人が犯人であった場合、さらにみじめになる。それなら、人を疑わず、騙されつづけていたほうがよい。騙されるのは愚かであろうが、騙す不幸よりまさる。そうおもわぬか」
 慈英はいちど深く首をたれてから、急に首をあげた。
「推さまのような人を仁人というのです」
「ずいぶんもちあげたな」
「どれほどもちあげてもよいのです。事実、そうなのですから」
「ふふ」
 くすぐったそうに介推は笑った。

私は、こうした清廉潔白さを尊敬したい。

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2005年6月11日 (土)

夏姫春秋

Photo 2 春秋戦国時代、時代に翻弄され「妖婦」とみなされた絶世の美女がいた。鄭という国の公女「夏姫」である。この時代は、晋・楚が大国であり、その間の小国の政治は、術策を極めなければ生きられない。孔子が愛し尊敬して止まない子産もこの時代の鄭の宰相であり、同時代を生きた。傾国の美女うと謳われた越の贈り物「西施」もまた、自身の欲望や意志ではなく、その時代の権力者に弄ばれただけだが、夏姫もまた同様ではなかったろうか。中国には悪女は何人も歴史に登場するが、彼女もまたその部類ではないような気がした。宮城谷氏の「夏姫」救いの小説によって。三夫二君は、夏姫を手に入れると死んでしまう。しかし、その夏姫こそが薄幸なのではないだろうか。本書は、「風」を夏姫のイメージとして書き進んでいる。そもそもこの時代の小国が風に身を任せるしかなかったというイメージとダブル。おもしろかった。

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