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神社(東海)

2012年4月 8日 (日)

三嶋大社

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お花見を兼ねて「三嶋大社」を参拝しまいた。境内には、15種200本の桜があるそうです。
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鳥居をくぐると参道の両脇に池があり、桜が咲き乱れています。
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神門の奥にも「三島桜」など・・・
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感激。
さて三嶋大社の祭神は、大山祇命と事代主命であるが、大山祇命は、大三島に鎮座し伊予国一の宮である大山祇神社の祭神。三島の社名の類似から、大三島から勧請されたという説が古くからあるらしい。事代主命は、平田篤胤の説による。神紋は、「角切りに三の字」。大山祇神社も美保神社も「三の字」であることから、どちらの神様か意見が分かれるのだろうか。元は、三嶋は、「御島」から変化したもので、富士火山帯である、伊豆七島に代表される伊豆諸島の神で噴火や造島を神格化したものだと思われる。
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拝殿は、見事な千鳥破風をもつ入母屋造り。
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本殿は、重厚感あふれる三間社流造・銅板葺。
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さすが、伊豆国一ノ宮でした。これにて42の一ノ宮参拝達成です。


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2010年9月20日 (月)

南宮大社

昨晩は、久しぶりにおいしい伊賀牛のヒレステーキを食べ満足。早速、四日市が渋滞になるまえに名古屋へ向かう。かみさんと娘は、今回の目的の一つ(これが一番か?)、名古屋劇団四季の「オペラ座の怪人」に。私は、この時間を利用してまずは、美濃一之宮「南宮大社」へ。関ヶ原は南宮山の鬼門北東麓に鎮座している。
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ご祭神は「金山彦命」。鉱山・金山など、鉱物をつかさどると神いわれている。『延喜式』には「仲山金山彦神社」と記載されている。まずは、楼門が迎えてくれる。
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楼門をくぐると舞殿。その背後に拝殿。
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ご神紋は「三つ巴」。本殿は、「南宮造り」といわれる「権現造り」のようだ。珍しく千木・鰹木がないのが特徴。
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南宮とは?そもそも製鉄炉や鍛冶場の四方を取り囲む押立柱(おしたてはし)のうち、南方の柱を特に重要視していたためといわれ「南方の宮」=「ミナカタノミコト」で、諏訪大社が南宮といわれる所以だ。

多度大社

次に向かったのは、「多度大社」。まずは、坂道のでっかい一の鳥居が迎えてくれる。
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多度大社は、『延喜式』神名帳に「多度神社」の名がある延喜式内社で、伊勢国二宮と言われている。天照大神の御子神・天津彦根命を主祭神とする。階段の左手に土の坂、「上げ坂」とよばれる当社の例祭に行われる「上げ馬神事」が行われる坂があり、境内入口に白馬が。
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ご神域は、清浄そのもの。
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左手は本宮。右手は別宮となっている。別宮には天津彦根命の御子神「天目一箇命」が祀られている。本宮右奥には滝が流れ、格別の気を放っている。
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2010年9月19日 (日)

椿大神社

東京から、伊賀まで名だたる神社がいくつもあるのだが途中下車は料金が嵩むうえ、かみさんと娘のブーイングもあり、神社巡りは2社に限定された。もう一社選んだのは、伊勢一之宮「椿大神社 つばきおおかみやしろ」。鈴鹿市に鎮座する。
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ご祭神は「猿田彦命」。猿田彦大本宮とも呼ばれている。(全国、猿田彦神社の総本宮)背後に聳える入道ヶ嶽を神体として鎮座している。
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灯篭を備えた趣のある参道を抜けると本殿が見える。
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ご神紋は「三つ巴」のようだ。当社は、本殿右手に、朱色の美しい別宮・椿岸神社をもつ。ご祭神は猿田彦命の妻神である「天之宇受女命」。
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故松下幸之助は、この清浄なる宮を好まれ、何度も参拝されていたらしい。境内には「松下幸之助社」もあるとのこと。


2010年1月 1日 (金)

敢国神社(あへくに)

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今年の初詣は、かみさんの実家 伊賀上野に鎮座する「敢国神社」へ参拝。伊賀国一之宮にして旧国幣中社、式内社、別表神社である。ご祭神は、大彦命で、 少彦名命 ・金山媛命を配祀している。赤い両部鳥居(本体の柱を支える形で稚児柱(稚児鳥居)があり、その笠木の上に屋根があるもの)が印象的だ。大彦命は、第八代孝元天皇の第一皇子にして「四道将軍(武渟川別命・吉備津彦命・丹波道主命・大彦命)」のひとりで、阿部氏の祖である。
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東には、南宮山があり、元は、少名彦命は、この山頂に祀られていたらしい。その遷座により、美濃の南宮大社から金山媛命を勧請したらしい。この「南宮」により、信濃の国の諏訪下社、美濃の国の南宮神社と深い繋がりを持っているようだ。『梁塵秘抄』には、当社を「をさなきちごの宮」と記されており、やはり、少名彦命が本来のご祭神ではないだろうか。ご神紋は見ての通り「流れ巴」だし。
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陽夫多神社

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敢国神社参拝の後、阿山にある伊賀の国 式内社「陽夫多神社」を参拝。珍しい平屋造りの拝殿。その後方に聳える二本の大杉(ご神木)も驚きだ。
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ご祭神は「スサノオ尊」。当然のごとく、ご神紋は「左三つ巴」と「五瓜に唐花」。
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本殿は美しい「流造り」であった。

2009年12月31日 (木)

終わり(尾張)詣で

今年の正月は、かみさんの実家(三重県)へ。そのため、朝早く宮崎よりセントレア中部国際空港へ向かう。家族は千葉から夕方名古屋で合流。さてそれまでの6時間は、2009年大晦日、今年最後の参拝へ。目的は、熱田神宮、熱田神宮境外摂社高坐結御子神社、尾張一宮 真清田神社、そして、「須佐之男尊は即ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いしなり」として日本総社の号を奉られている 津島神社まさに終り(尾張)詣でだ。

津島神社

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大同五(810)年正月、嵯峨天皇は津島神社に、「須佐之男尊は即ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いしなり」として、日本総社の号を奉られている。また、一条天皇(寛和二(986)~長元九(1036)年)は、津島神 社に天王社の号を贈られた。

素戔嗚尊を祀る天王社は全国に3000社ともいわれているが、その総本山が「津島神社」である。社殿はもちろん「尾張造り」であでやかだ。
*尾張造り・・・本殿は丹塗の流造で、祭文殿・廻廊・拝殿と釣殿が左右対称に配置。
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境内は明日の、初詣に備えて準備で忙しそうだ。大晦日に参拝する人はそんなにはいないのだろう。ご朱印の巫女さんも迷惑そうだ。ここでは、「素戔嗚尊を訪ねて」というご朱印帳を購入し、一番に朱印をしてもらった。
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楼門も風格がただよう。そして、スサノオの印「五瓜に唐花」の神紋がいたるところに。
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織田信長は、当社を氏神と仰いで造営その他に協力し、秀吉を始め豊臣一門は信長に引き続き、秀吉は天正十九年(西暦1591)楼門(重要文化財)を寄進し、 慶長三年(西暦1598)には、秀頼が秀吉の病気平癒を祈願して南門(県文化財)を寄進した他、社領等を寄進造営し尊信したらしい。

誰が、古代日本の王であったかを知っていたのだろう。納得。